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朝鮮飴【チョウセンアメ】

デジタル大辞泉

ちょうせん‐あめ〔テウセン‐〕【朝鮮×飴】
もち米の水飴砂糖を加えて練り上げて拍子木形にし、片栗粉をまぶしたもの。もと長生とよばれたが、秀吉朝鮮出兵加藤清正籠城(ろうじょう)中にこれで飢えをしのいだので、のち朝鮮飴と称したという。熊本名物

出典:小学館
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デジタル大辞泉プラス

朝鮮飴
熊本県の名物菓子糯米(もちごめ)、水飴、砂糖を主原料に長時問練り上げた求肥餅一種。「長生飴」「肥後飴」とも。

出典:小学館
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大辞林 第三版

ちょうせんあめ【朝鮮飴】
加藤清正が慶長の役の際、その製法を伝えたものという
熊本県名産の飴。水に漬けたもち米をくだいて加熱し、水飴・砂糖を混ぜて固まらせ、短冊形に切って片栗粉をまぶしたもの。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

朝鮮飴
ちょうせんあめ
熊本名物の求肥(ぎゅうひ)飴。一般には加藤清正がこの飴の製法を朝鮮から伝えたとされてきたが、実際は長生飴といい、天正(てんしょう)年間(1573~1592)の熊本城築城以前から熊本でつくられていた。豊臣(とよとみ)秀吉の朝鮮出兵で、清正が蔚山(うるさん)に籠城(ろうじょう)したとき、長生飴が将兵の糧食にあてられ、籠城を記念して帰国後に朝鮮飴といわれるようになった。製法は、糯米(もちごめ)をつき砕いて釜(かま)に入れ、糊(のり)状に練って水飴、黒糖を混ぜ、さらに5時間ほど練り、型に入れて固める。清正は家臣甲斐宗連(かいむねつら)に朝鮮飴の製法管理をゆだねていたが、加藤家断絶後は細川藩もこの飴を将軍家への献上菓とした。甲斐家から仕法を譲られた山城屋は、江戸中期からの朝鮮飴本家であるが、その後廃業。[沢 史生]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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事典 日本の地域ブランド・名産品

朝鮮飴[菓子]
ちょうせんあめ
九州・沖縄地方、熊本県の地域ブランド。
求肥に水飴と砂糖を混ぜて練り上げ、固めた菓子。天正年間(1573年〜1592年)にはすでに熊本でつくられていたという。朝鮮飴と呼ばれるようになったのは、加藤清正が朝鮮出兵に保存食として用いたかららしい。

出典:日外アソシエーツ「事典 日本の地域ブランド・名産品」
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精選版 日本国語大辞典

ちょうせん‐あめ テウセン‥【朝鮮飴】
〘名〙 あめ菓子の一種。熊本市の名産。もち米粉を煮て、のり状にし、水飴・砂糖を加えて凝固させ、短冊形に切って片栗粉をまぶした半透明の求肥(ぎゅうひ)飴。くるみ・ごまなどを入れ、みじん粉をふりかけたものもある。慶長の役の際、加藤清正がその製法をもち帰って、広めたという。長生飴。〔随筆・一話一言(1779‐1820頃)〕

出典:精選版 日本国語大辞典
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