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木戸孝允【きど こういん】

美術人名辞典

木戸孝允
幕末・明治の政治家。長州生。通称桂小五郎、のち貫治・準一郎、松菊と号する。西郷隆盛大久保利通らと薩長連合密約を結び、倒勢力の結集を計った。維新後は明治政府の中枢参画。明治10年(1877)歿、44才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

きど‐たかよし【木戸孝允】
[1833~1877]政治家。長州の人。初め桂小五郎と称し、のち木戸姓。維新の三傑の一人。吉田松陰に学び、討幕志士として活躍した。明治維新後、五箇条の御誓文起草版籍奉還廃藩置県などに尽力征韓論・台湾征討反対した。きどこういん。逃げの小五郎のあだ名もある。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
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きど‐こういん〔‐カウイン〕【木戸孝允】

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

木戸孝允 きど-たかよし
1833-1877 幕末-明治時代の政治家。
天保(てんぽう)4年6月26日生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩医和田昌景の次男。桂(かつら)孝古の養子。嘉永(かえい)2年吉田松陰の松下村塾にはいる。のち江戸に遊学する。小五郎と称し,新堀松輔の変名もつかった。慶応元年木戸と改姓。西郷隆盛と薩長(さっちょう)同盟をむすび,倒幕をはかる。明治新政府の中枢にあって,「五箇条の誓文」の起草,版籍奉還,廃藩置県を主導した。明治3年参議となり,4年岩倉遣外使節団の全権副使。内政重視の立場から征韓論に反対,台湾出兵にも反対して,独裁をつよめる大久保利通(としみち)と対立,政権の主流からはなれた。西南戦争のさなかの明治10年5月26日病死。45歳。号は松菊(しょうぎく),木圭など。
【格言など】西郷,もうたいていにせんか(末期の言葉)

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

木戸孝允 きど-こういん

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防府市歴史用語集

木戸孝允
 江戸時代末の萩藩[はぎはん]志士[しし]の1人で、明治時代には政治家として活躍しました。吉田松陰[よしだしょういん]の教え子の1人です。桂小五郎[かつらこごろう]と言っていましたが、後に木戸孝允と名乗ります。1866年に西郷隆盛[さいごうたかもり]などと薩長同盟[さっちょうどうめい]を結ぶなど明治維新[めいじいしん]に大きな働きがあり、維新後は版籍奉還[はんせきほうかん]や廃藩置県[はいはんちけん]などの改革を手がけています。

出典:ほうふWeb歴史館
Copyright 2002,Hofu Virtual Site Museum,Japan
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世界大百科事典 第2版

きどたかよし【木戸孝允】
1833‐77(天保4‐明治10)
幕末・明治初期の政治家。大久保利通,西郷隆盛とともに明治維新の三傑と称される。長州藩出身。初め桂小五郎のち木戸貫治ついで準一郎,孝允と改名,号は松菊。1849年(嘉永2)吉田松陰の門下となり,52年江戸に出て斎藤弥九郎の塾で修業。やがて尊王攘夷運動に参加し,60年(万延1)井伊大老暗殺直後に水戸藩士西丸帯刀(たてわき)らと丙辰丸盟約を結んだ。尊王攘夷運動の隆盛期に長州藩を代表して諸藩人士と接触,ひろく知られるようになった。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

きどたかよし【木戸孝允】
1833~1877 政治家。長州藩士。号は松菊。桂小五郎と称し、のち木戸と改姓。尊攘運動に参加、薩長同盟を結んで倒幕運動を指導。維新政府の中心となり「五箇条の御誓文」起草に参画、版籍奉還・廃藩置県を推進した。征韓論・征台論に反対。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

木戸孝允
きどたかよし
[生]天保4(1833).6.26. 長門
[没]1877.5.26. 京都
明治初期の政治家。通称桂小五郎。幕末・維新期に長州藩の代表格として討幕運動に尽力,西郷隆盛大久保利通とともに明治維新三傑とも称される。長州藩藩医和田昌景の子として生まれ,7歳で桂家の嗣子となる。嘉永2(1849)年吉田松陰のもとに入門,嘉永5(1852)年江戸に留学し,洋式砲術・兵術,造船術,蘭学を学ぶ。江戸では水戸,越前,薩摩などの尊攘派と親しく交わり,以後尊王攘夷運動に奔走。禁門の変長州征伐で諸藩から孤立を深める長州藩の中枢にあって藩政を支え,慶応2(1866)年薩長同盟の密約を成立させた。維新後も明治政府に出仕し,版籍奉還を建言して明治2(1869)年にこれを実現させ,明治4(1871)年の廃藩置県にいたるまで,幕藩体制を解体して近代的中央集権国家を確立する基礎作業を推進した。さらに明治4年岩倉遣外使節に副使として同行し,諸国の憲法その他の法制を担当して研究した。帰国後は憲法の制定を建言したが,富国強兵政策に邁進する大久保との間で台湾征討をめぐって対立,一時官職を辞した。復職後は健康が優れず,京都で病没した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

木戸孝允
きどたかよし
(1833―1877)
幕末・維新期の政治家。旧長州藩士。大久保利通(おおくぼとしみち)、西郷隆盛(さいごうたかもり)と並ぶ「維新三傑」の一人。天保(てんぽう)4年6月26日、同藩士和田家に出生。7歳で桂(かつら)九郎兵衛家の嗣子(しし)となり、通称を小五郎と称したが、1865年(慶応1)藩主から木戸姓をもらい、貫治、準一郎と改め、松菊と号した。1849年(嘉永2)吉田松陰(よしだしょういん)の門弟となり、その後、江戸に留学、また江川太郎左衛門から洋式砲術を学んだ。1858年(安政5)以降、安政(あんせい)の大獄後の状況のなかで、自藩をはじめ、薩摩(さつま)、水戸、越前(えちぜん)諸藩の尊攘(そんじょう)派の志士と広く交わり、尊王攘夷(じょうい)運動に奔走した。1864年(元治1)禁門(きんもん)の変(蛤御門(はまぐりごもん)の変)で薩摩藩などと戦って長州藩が敗走したのち、高杉晋作(たかすぎしんさく)らの長州藩討幕派が同藩の実権を掌握すると帰藩し、諸藩と折衝する過程で、1866年薩長同盟を締結することに成功。以後、討幕派の一代表として活躍した。
 幕府倒壊による明治維新の実現後、政府官僚として太政官(だじょうかん)に出仕、参与、総裁局顧問などを務め、由利公正(ゆりきみまさ)や福岡孝弟(ふくおかたかちか)らと「五か条の誓文(せいもん)」の起草に参加した。さらに1870年(明治3)には参議に昇進し、版籍奉還、ついで廃藩置県を通じて、統一政権の成立に指導的役割を果たした。また1871年には、特命全権大使岩倉具視(いわくらともみ)が率いる米欧遣外使節団に大久保利通、伊藤博文(いとうひろぶみ)らと加わり、外国の政治、経済、軍事などの諸制度や施設を視察した。1873年帰国後、岩倉、大久保らとともに、西郷隆盛らが主張する征韓論に反対して彼らを退け、下野させた。しかし、この直後に成立した大久保の独裁政権には批判的立場を示し、政府の支配体制の枠内で啓蒙(けいもう)官僚として行動した。1874年の台湾出兵に反対して一時参議を辞任したこともあったが、翌年の大阪会議では大久保らの政府主流派に妥協して、再度、参議に復帰した。その後は地方官会議議長に就任し、また内閣顧問に転任したこともあったが、このころから、病気を得て要職から退き、西南戦争の最中、明治10年5月26日京都で死去した。
 明治国家の成立の過程で、最初の絶対主義政権の形態をとった岩倉―大久保体制内部にあって、木戸の意識と行動はその開明的立場を代表する側面を示していたが、状況を展望する政治的資質においては明晰(めいせき)な大久保の能力に劣っていた。[石塚裕道]
『木戸公伝記編纂所編『松菊木戸公伝』全2巻(1927・明治書院) ▽木戸孝允関係文書研究会編『木戸孝允関係文書』全5巻(2005~ ・東京大学出版会)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

きど‐たかよし【木戸孝允】
政治家。本姓、和田。桂小五郎、木戸貫治、さらに準一郎と改名。号、松菊。孝允は「こういん」とも。長州藩(山口県)出身。吉田松陰に師事。幕末、薩長連合を結び、倒幕、王政復古運動を指導する。維新後、新政府の中心となり、版籍奉還、廃藩置県を断行。欧米視察後は、内治の優先を唱えて征韓論、征台論に反対し、天皇制絶対主義政治の確立に努めた。天保四~明治一〇年(一八三三‐七七

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旺文社日本史事典 三訂版

木戸孝允
きどたかよし
1833〜77
幕末の尊攘派志士。明治初期の政治家
維新の三傑の一人。長州藩出身。初め桂小五郎という。吉田松陰に師事。高杉晋作らと藩論を討幕へと導き,薩長連合に成功。新政権発足後は長州閥巨頭として,五箇条の誓文の起草,版籍奉還・廃藩置県に指導的役割を演じた。1871年岩倉遣外使節に副使として同行。帰国後征韓論では西郷派と対立,のち征台の役に反対して下野。'75年大阪会議で参議にもどったが,翌年辞任。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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