●本能寺【ほんのうじ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
本能寺
ほんのうじ
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉
ほんのう‐じ【本能寺】
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
世界大百科事典 第2版
ほんのうじ【本能寺】
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
日本大百科全書(ニッポニカ)
本能寺
ほんのうじ
京都市中京(なかぎょう)区下本能寺町にある法華(ほっけ)宗本門流の大本山。1415年(応永22)日隆の創立で、当初は五条坊門にあって本応寺と号したが、33年(永享5)六角大宮に移転して本能寺と改めた。天文(てんぶん)の乱(1536)により全焼し、1545年(天文14)四条西洞院(にしのとういん)に方四町の寺域を賜り、子院30余坊を構える大殿堂を復興して前後7回再建中最大の規模を誇った。しかし1582年(天正10)織田信長宿泊中に明智光秀(あけちみつひで)の襲撃にあって焼失、再建の途中、豊臣(とよとみ)秀吉の区画整理にあい、89年に現在地に移転した。1864年(元治1)の蛤御門(はまぐりごもん)の変でまた全焼したため仮本堂を建立、1928年(昭和3)に現本堂を落慶。日隆の遺戒を守り、当寺は布教の道場、兵庫県尼崎(あまがさき)市の本興寺は教学の道場として、ともに山号を用いず、両寺一貫首制であったが、108世以後、別置された。境内に信長公本廟(ほんびょう)がある。寺宝に花園(はなぞの)天皇宸翰(しんかん)、伝藤原行成(ゆきなり)筆古詩残巻などの国宝がある。
[浅井円道]
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
精選版 日本国語大辞典
ほんのう‐じ【本能寺】
出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「本能寺」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●本能寺の関連情報