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李鴻章【り こうしょう】

美術人名辞典

李鴻章
清の政治家。安徽省合肥生。字は少荃・漸甫、号は儀叟、謚は文忠。日清戦争の下関条約、北清事変の北京条約等多難な外交折衝に当った。また外国語学校設立、海陸軍の編成、留学生派遣等中国近代化に全力を傾けた。光緒27年(1901)歿、79才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

り‐こうしょう〔‐コウシヤウ〕【李鴻章】
[1823~1901]中国、末の政治家。安徽(あんき)省合肥の人。字(あざな)は少荃(しょうせん)、号は儀叟。諡(おくりな)は文忠。曽国藩のもとで淮軍(わいぐん)を組織して太平天国鎮圧以後40年余にわたって両江総督・直隷総督・北洋大臣・内閣大学士を歴任日清戦争下関条約)・義和団事件など重要な外交案件にかかわったほか、洋務運動の中心人物として清国の近代化に尽力した。リー=ホンチャン。

出典:小学館
監修:松村明
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編集協力:田中牧郎、曽根脩
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

李鴻章 り-こうしょう
1823-1901 清(しん)(中国)の政治家。
道光3年1月5日生まれ。太平天国の乱,捻(ねん)軍の乱の鎮圧にあたり,1870年直隷総督兼北洋大臣となる。軍事,外交,経済の実権をにぎり,その近代化をすすめた。日清戦争後,明治28年(1895)日清講和会議の全権として来日,下関条約をむすんだ。光緒27年9月27日死去。79歳。安徽省出身。字(あざな)は少荃(しょうせん)。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

りこうしょう【李鴻章 Lǐ Hóng zhāng】
1823‐1901
中国,清末の政治家。字は少荃。安徽省合肥の人。道光27年(1847)の進士。太平天国が興ると,53年(咸豊3)命をうけて帰郷し,軍務に従事した。58年,曾国藩の幕僚となり,62年(同治1)曾国藩の推挙で江蘇巡撫に抜擢され,淮軍(わいぐん)を編成し(郷勇),太平天国軍攻撃下の上海救援におもむいた。太平天国滅亡後は捻軍反乱の鎮圧にあたり,70年,曾国藩のあとをうけて直隷総督兼北洋大臣に就以来25年間その任にあって,清朝の軍事・外交をほとんど一手にとりしきった。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

りこうしょう【李鴻章】
1823~1901 中国、清末の政治家。安徽あんき省合肥県の人。字あざなは少荃しようせん、号は儀叟ぎそう。太平天国の乱鎮圧で功績をあげ、直隷総督・北洋大臣となる。洋務運動を推進。特に下関条約・義和団事件など清末の多くの外交上の難局の処理に当たった。リー=ホンチャン。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

李鴻章
りこうしょう
Li Hong-zhang; Li Hung-chang
[生]道光3(1823).2.15. 安徽,合肥
[没]光緒27(1901).11.7. 北京
中国,清末の政治家。安徽省合肥の人。字は少荃。号は儀叟。諡は文忠。道光27(1847)年の進士。初め翰林院に入り,太平天国軍の南京進出により帰郷,安徽巡撫福済の幕僚となり,咸豊8(1858)年湘軍を率いる曾国藩の幕僚となった。同治1(1862)年,曾の推挙で江蘇巡撫となり,淮軍を編制して上海救援に活躍。同 4年両江総督となり,翌年から同 7年まで欽差大臣として捻軍討滅にあたった。のち湖広総督を経て同 9年に直隷総督となり,以後光緒21(1895)年まで 25年間その職にあった。その間北洋大臣も兼ねた。また外交を一手に引き受け,日清戦争後の下関条約では全権大使として調印している。同 22年使節としてロシアに赴き,同 25年両広総督となり,同 26年直隷総督に再任されたが,翌年病没。洋務運動(→洋務派)を推進する漢人官僚の第一人者として近代的軍隊の創設,海軍の建設,軍事工業の推進,鉱山の開発,鉄道の敷設など各方面に活躍。外交面でも直隷総督就任以降,義和団事変までのほとんどの問題に対処した。主著『李文忠公全書』(165巻)。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

李鴻章
りこうしょう
(1823―1901)
中国、清(しん)末の代表的政治家。安徽(あんき)省合肥(ごうひ)の人。道光27年(1847)進士。字(あざな)は少(しょうせん)、諡(おくりな)は文忠。1853年帰郷して団練を組織し、太平軍と戦った。のち曽国藩(そうこくはん)の幕僚として湘軍(しょうぐん)で活動し、その厚い信任を得た。61年に曽の命を受けて安徽で湘軍と同性格の義勇軍淮(わい)軍約6000人を組織し、62年4月、イギリス船で安慶から上海(シャンハイ)に入り、ただちに江蘇巡撫(こうそじゅんぶ)に抜擢(ばってき)された。英・仏軍、常勝軍、清正規軍と共同して、江浙(こうせつ)の太平軍鎮圧に大きな役割を果たした。太平天国滅亡後、代理両江総督、ついで欽差(きんさ)大臣として6万の淮軍を率いて捻軍(ねんぐん)鎮圧にあたり、功により67年湖広総督、70年直隷(ちょくれい)総督兼北洋通商事務大臣に就任した。以後25年間その任にあって外交、軍事、経済の運営にあたった。この間洋務派の首領として、洋式軍事工業、ついで民間工業の創設を進めた。彼が関与して設立されたものに江南製造総局、金陵機器局などの武器製造工場、輸船招商局(汽船会社)、開平炭鉱、漠河金鉱、天津(てんしん)電報局、津楡(しんゆ)鉄道、上海機器織布局などがある。これらは官営、もしくは、民間資本を募集し、官が監督し民間企業家が経営する官督商弁あるいは官商合弁の経営方式を採用した。彼は外国企業からその利を奪い、またこれらの企業を呼び水として民間企業の発展を図ることを意図したが、内外の条件に制約されて、十分これを実現できず、同時代に並行して進められた日本の維新政府による殖産興業政策ほどの成果をあげられなかった。彼はまた関税収入をもって武器、軍艦を購入し、北洋水師学堂を創立して淮軍を強化し、北洋海軍を創立し、一時は日本海軍を凌駕(りょうが)した。しかし、その後の最新技術の導入に後れをとり、日清戦争で陸・海軍とも壊滅的打撃を受けた。外交では国力不足を理由に、ほぼ一貫して譲歩妥協による解決と夷(い)をもって夷を制する政策を主眼としたが、日清戦争の敗戦によって致命傷を受け、下関(しものせき)条約調印後中央政界から一時失脚した。しかしその外交手腕を買われて、96年ロシアに派遣されて露清秘密条約を結び、また全権大臣として、義和団戦争後の辛丑(しんちゅう)条約に調印した。『李文忠公全集』がある。[小島晋治]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

り‐こうしょう ‥コウシャウ【李鴻章】
中国清末の政治家。安徽省合肥出身。太平天国の乱の際、曾国藩の幕下にはいる。一八七〇年直隷総督兼北洋大臣に就任。その後洋務運動の中心人物として軍の近代化を図ったが、日清戦争の敗北で失脚。また、芝罘(チーフー)条約、下関条約、義和団事件など重要外交案件のすべてにかかわった。(一八二三‐一九〇一

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

李鴻章
りこうしょう
1823〜1901
中国,清末期の政治家
淮 (わい) 軍を率いて太平天国の乱を鎮圧。以後,淮軍の軍事力,洋務運動の推進,外交の独占によって清末の最有力政治家となる。日清修好条規締結(1871)以来,日本との外交問題の多くに関係した。天津条約をはじめ日清戦争後の下関条約・露清同盟密約,義和団事件後の北京議定書にもたずさわった。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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