●村上天皇【むらかみてんのう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
村上天皇
むらかみてんのう
[没]康保4(967).5.25. 京都
第 62代の天皇 (在位 946~967) 。醍醐天皇の第 14皇子。母は太政大臣藤原基経の女,中宮穏子。名,成明。天慶7 (944) 年皇太弟となり,同9年即位し,藤原忠平没後は摂関をおかず親政を行い,天暦8 (954) 年には諸臣に勅して,奢侈を禁じ,売官を停止させた。また鴻臚館を存置するなど菅原文時の意見封事を用いたり,貧民救済を急務とし,常平所を設置し,乾元大宝を鋳造するなどの治績をあげた。また文学を好み,琵琶に長じた。そのため,和歌所が設置され,『後撰和歌集』が成り,詩合,歌合 (天徳歌合) などが催され,多くの文人が輩出した。このような治績や文運の隆昌から,のちに「天暦の治」 (→延喜・天暦の治 ) と称された。しかし実際には律令体制は解体の途上にあり,地方政治の紊乱,盗賊の横行,悪疫の流行,水旱の災があり,急速に摂関政治の時代へと移っていった。日記に『村上天皇御記』 (『天暦御記』ともいう) がある。陵墓は京都市右京区鳴滝宇多野谷の村上陵。
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デジタル大辞泉
むらかみ‐てんのう〔‐テンワウ〕【村上天皇】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
村上天皇 むらかみてんのう
延長4年6月2日生まれ。醍醐(だいご)天皇の第14皇子。母は藤原穏子(おんし)。兄朱雀(すざく)天皇の譲位で即位。天暦(てんりゃく)3年関白藤原忠平の死後は親政をしいた(天暦の治)。詩歌にすぐれ,「後撰和歌集」をつくらせた。康保(こうほう)4年5月25日死去。42歳。墓所は村上陵(みささぎ)(京都市右京区)。諱(いみな)は成明(なりあきら)。別名に天暦帝。法名は覚貞。日記に「村上天皇御記」。
【格言など】円居(まとゐ)してみれどもあかぬ藤浪のたたまく惜しき今日にも有るかな(「新古今和歌集」)
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世界大百科事典 第2版
むらかみてんのう【村上天皇】
第62代に数えられる天皇。在位946‐967年。父は醍醐天皇,母は皇后穏子(おんし)(藤原基経女)。諱(いみな)は成明(なりあきら)。誕生の年に親王,940年(天慶3)元服,944年東宮,946年同母兄朱雀天皇が譲位して即位。治世の初めに関白忠平が没してからは親政を行った。資性聡明で学芸に造詣深く,この時代は《後撰和歌集》の撰進もあり,詩合や歌合なども盛んで,華やかな後宮を背景に宮廷文化が栄えた。政治にも関心深く,朝儀にも精通しみずから儀式書《清涼記》を撰したが現在一部分のみを伝える。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
村上天皇
むらかみてんのう
(926―967)
第62代天皇(在位946~967)。醍醐(だいご)天皇第14皇子。名は成明(なりあき)、母は太政(だいじょう)大臣藤原基経(もとつね)の女(むすめ)穏子(おんし)。朱雀(すざく)天皇の同母弟。944年(天慶7)19歳で皇太子となり、946年禅を受け即位。治政の当初基経の子忠平(ただひら)を関白(かんぱく)とし執政させたが、949年(天暦3)忠平の死後は関白を置かず、親政を行った。律令(りつりょう)制の解体は進み、大嘗会(だいじょうえ)を執行するにあたり国庫のみでは十分に賄えず、忠平の私財に依存するなど、財政状況は悪化していた。ただし忠平死後はその息実頼(さねより)が太政官の首班として治安維持や収取確保に努め、小康を得ていたようである。文化面では和歌所(わかどころ)が設置され、「天徳歌合(てんとくうたあわせ)」(960)や『後撰(ごせん)和歌集』の編纂(へんさん)が行われるなど目覚ましく、皇朝十二銭の最後たる乾元(けんげん)大宝の鋳造が行われたのも村上朝であった。親政を行い、菅原文時(すがわらのふみとき)の意見封事を用い、公卿(くぎょう)登用において比較的公正な人事が行われたことから、後世醍醐天皇の「延喜(えんぎ)の治(ち)」とともに「天暦(てんりゃく)の治」とよばれ、聖代として賛仰された。日記『天暦御記』がある。
[森田 悌]
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367日誕生日大事典
村上天皇 (むらかみてんのう)
平安時代中期の第62代の天皇
967年没
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精選版 日本国語大辞典
むらかみ‐てんのう ‥テンワウ【村上天皇】
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旺文社日本史事典 三訂版
村上天皇
むらかみてんのう
平安前期の天皇(在位946〜967)
醍醐 (だいご) 天皇の第14皇子。関白藤原忠平の死後,関白を置かず親政を行った。954年諸臣に意見封事を提出させ,その治世は「天暦の治」といわれたが,律令体制は崩壊し,地方政治は乱れていた。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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