●村井弦斎【むらいげんさい】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
村井弦斎
むらいげんさい
[没]1927.7.30. 平塚
新聞記者,小説家。本名,寛。東京外国語学校露語科中退。 1884年アメリカに渡り,帰国 (1887) 後『郵便報知新聞』客員,95年同編集長。『小説家』 (90~91) で認められ,『小猫』 (91~92) により小説家の地位を確立,『日の出島』 (96~1901) でその人気は絶頂に達した。 1906年『婦人世界』編集長となり,初めて料理法,医療法などの実用記事を多く取入れ,現在の女性雑誌の原型をつくった。小説もまた『食道楽』 (03) など娯楽性と実用性を兼備したものが多い。
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デジタル大辞泉
むらい‐げんさい〔むらゐ‐〕【村井弦斎】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
村井弦斎 むらい-げんさい
文久3年12月18日生まれ。渡米して苦学。明治23年郵便報知新聞社にはいり,28年森田思軒のあと「報知新聞」編集長となる。同紙に長編小説「日の出島」,読み物「食道楽」を連載して人気をよんだ。昭和2年7月30日死去。65歳。三河(愛知県)出身。東京専門学校(現早大)中退。本名は寛。
【格言など】小児には徳育よりも智育よりも体育よりも食育が先き(「食道楽」)
出典:講談社
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世界大百科事典 第2版
むらいげんさい【村井弦斎】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
村井弦斎
むらいげんさい
(1863―1927)
小説家。三河国(愛知県)豊橋(とよはし)に生まれる。本名寛(ひろし)。父は儒者だが維新後零落。東京外国語学校(現東京外国語大学)露語科中退。1884年(明治17)渡米、母危篤のため87年帰国。『報知新聞』の客員となり、早稲田(わせだ)大学に学ぶが中退、正社員となる。森田思軒(しけん)門下として活躍。相州三浦の豪族三浦家の滅亡の悲劇を描いた『桜の御所』(1894)、「陰惨なロマンス」(柳田泉)をつづった『沖の小嶋(こじま)』(1896)、発明発見物語『日の出嶋』(1902)、女性の悲劇をつづった家庭小説『小松嶋』(1917)や、『食道楽(しょくどうらく)』(1903)などいわゆる「道楽もの」にその才を発揮した。
[山崎一穎]
『『近代文学研究叢書27』(1967・昭和女子大学光葉会)』▽『『食道楽』(1976・新人物往来社)』
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精選版 日本国語大辞典
むらい‐げんさい【村井弦斎】
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