●東ゴート【ひがしごーと】
世界大百科事典 第2版
ひがしごーと【東ゴート】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
東ゴート
ひがしごーと
Ostrogoths
東ゲルマン系のゴート人の一分派をなす集団。ゴート人は1世紀ごろビスワ川下流域に居住していたが、3世紀までにドナウ川下流域、黒海北西岸に移動し、東ゴート人と西ゴート人とに分かれた。370年ごろ東方から侵入してきたフン人に征服されたが、アッティラの死(453)によってフン帝国が崩壊したのち独立を回復し(474)、アマラー家の王権が確立した。テオドリック大王は、東ゴート人を率いて、483年にはローマ領のダキア、モエシアに、488年にはさらにイタリアに侵入し、オドアケルを破って東ゴート王国を建てた。テオドリックは、ローマ系文化人を登用し、東ゴート人とローマ系住民との融和を図り、王国の最盛期を実現したが、晩年には東ゴート系住民のアリウス派信仰と、ローマ系住民のカトリック信仰との対立が深刻化し、ローマ教皇との関係も悪化した。彼の死(526)後、ビザンティン帝国の皇帝ユスティニアヌス1世は征服戦争を開始し(535)、ゴート人はビティギス、ついでトティラを王にいただき、激しい抵抗を続けたが、555年、王国はついに滅亡した。
[平城照介]
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