●東密【とうみつ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
東密
とうみつ
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デジタル大辞泉
とう‐みつ【東密】
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世界大百科事典 第2版
とうみつ【東密】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
東密
とうみつ
京都・東寺(とうじ)(教王護国寺)を根本道場とした真言(しんごん)密教(真言宗)。比叡山(ひえいざん)の天台宗の密教を台密(たいみつ)というのに対し、東寺の密教の意味で、主として実修面(事相)から東密という。823年(弘仁14)空海は嵯峨(さが)帝から東寺を給預され、以後、東密は京都、紀州(和歌山県)高野山(こうやさん)に広がった。空海の密教の実修面は実慧(じちえ)・真紹(しんしょう)・宗叡(しゅえい)に、他方は真雅(しんが)・真然(しんぜん)にと伝わり、これらの流れは源仁(げんにん)によって統合された。源仁門下に益信(やくしん)・聖宝(しょうぼう)が出て、益信の法流は宇多(うだ)法皇・寛空(かんくう)・寛朝に伝えられ、寛朝は京都・広沢(ひろさわ)に遍照寺(へんじょうじ)を建立して広沢流の祖となる。これは仁和(にんな)寺系の東密である。聖宝の流れは仁海(にんがい)が京都・小野に曼荼羅寺(まんだらじ)を建立して小野流の祖となる。これは醍醐(だいご)寺系の東密である。これらを野沢(やたく)二流といい、それぞれ六派に分かれたので野沢根本十二流という。その後、小野流に二十派、広沢流に四派が分流したので、鎌倉時代には東密三十六流とよばれた。このほか、高野山には中院流、持明院(じみょういん)流があり、総じて七十余流になった。
[宮坂宥勝]
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精選版 日本国語大辞典
とう‐みつ【東密】
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旺文社日本史事典 三訂版
東密
とうみつ
密教は元来真言宗のみであったが,天台宗が密教化するに及んで,その台密に対し,東寺を根本道場とすることから東密と称された。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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