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東林党【とうりんとう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

東林党
とうりんとう
Dong-lin-dang; Tung-lin-tang
中国,末の政治的党派。万暦初年,張居正独裁政治に反対した正義派官僚グループの顧憲成,鄒 (すう) 元標らは,その後も皇太子冊立問題などで内閣や内官一派と対立し,政界から追放された。そこで彼らは郷里無錫に東林書院再興し,講学活動を行うとともに,在野的政治活動を展開した。万暦末から天啓にかけて宦官と腐敗官僚による陰謀政治が行われ,東林党はそれを鋭く批判したため魏忠賢一派に弾圧されたが,その運動は復社に受継がれた。

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デジタル大辞泉

とうりん‐とう〔‐タウ〕【東林党】
中国、末の政治的党派。1604年、吏部官吏を免ぜられた顧憲成らによって組織され、講学とともに朱子学的立場から官僚批判や政治批判を行った。

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世界大百科事典 第2版

とうりんとう【東林党 Dōng lín dǎng】
中国,明末に東林書院を中心に活動した政治的党派。また学派として東林学派ともよばれる。万暦年間(1573‐1619)顧憲成高樊竜(こうはんりゆう)らは,立太子問題と関連して時の内閣と対立,郷里無錫(むしやく)に帰って東林書院を設立し,同志を糾合して講学活動を行った。その学問は,陽明学末流の空疎に反対し,政治の改革と民生の安定に役立つ実践的な学問を提唱したものであった。この書院には,江南を中心に,時の政治に不満を持つ在野の人士が集まって,当面する政局を論じ,政府を批判して,相当の影響力をもった。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

東林党
とうりんとう

中国、明(みん)末期の政治的グループに冠せられた呼称。1604年、顧憲成(こけんせい)、高攀龍(こうはんりょう)らが江蘇(こうそ)省無錫(むしゃく)県にあった東林書院を再興し、陽明学末流の無善無悪派を批判すべく講学活動を始めたのがこの名のおこりである。のちにこの講学に参集した人士やそれらと交遊の深い人士たちが、万暦帝や帝を取り巻く魏忠賢(ぎちゅうけん)ら宦官(かんがん)一派の恣意(しい)的な徴税などに反対し、この対抗は権力抗争として天啓帝の時期にさらに激化した。このため、魏忠賢は1625~26年にかけて大弾圧に乗り出し、楊漣(ようれん)、左光斗(さこうと)、魏大中(ぎだいちゅう)ら6人を逮捕虐殺したうえ、自分への反対者とみなす人士を列挙した東林党人榜(じんぼう)なるブラックリストを公表し、さらに弾圧を加えた。のち29年に名誉回復が行われたが、清流、正直とみなされる人士が広く東林学派と目されて、魏忠賢事件に関係のない人士も多数含めて『東林書院志』のなかに列記された。このような経緯から、実際のところ、いわゆる東林学派の範囲はあいまいで、ましてそういう党派が実在していたわけではない。しかし、このようにして挙名された人々の間には一定の共通性がある。彼らは里甲制解体期といわれる明末に、王朝権力の恣意に反対して士人層の声を公論として主張、具体的には特権大地主の強横を批判して均田均役を主張し、郷約(きょうやく)、保甲(ほこう)の整備、民衆の道徳的教戒の強化を図るなど地主主導の郷村秩序の再編に努めた。また水利事業など農業技術の開発、奴僕(ぬぼく)層の融和を図るなど、開明的な色彩をもつ。

[溝口雄三]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

とうりん‐とう ‥タウ【東林党】
中国、明末の政界・学界の党派。一六〇四年、神宗(しんそう)の時、顧憲成(こけんせい)・高攀龍らによって組織され、江蘇省無錫の東林書院を再興、在野の同志を集めて政治批判・活動を行なった。天啓(一六二一‐二七)初期には政界の中心勢力となったが、魏忠賢ら宦官一派との間で激しい党争を繰り返し、明の滅亡の一因となった。東林学派。

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