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松前藩【まつまえはん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

松前藩
まつまえはん
福山藩ともいう。江戸時代,蝦夷地松前地方を領有していた藩。足利義政に仕えた武田信賢の子信広が蝦夷を平定し,光広,義広,季広を経て慶広の代に徳川家康に所領を安堵され,松前福山に立藩し,松前氏を称した。寒冷地のため米作ができず石高がなく,蝦夷一円領有で蝦夷交易権を独占した。当初交代寄合の格式だったが,享保4 (1719) 年に 10代矩広が万石以上格となった。寛政 11 (99) 年,章広の代に北辺防備のため東蝦夷地 (蝦夷地の東,南部) が仮収公,次いで享和2 (1802) 年収公され,武蔵久良岐 (くらき。神奈川県) 5000石と替え,さらに文化4 (07) 年には残る西蝦夷地 (蝦夷地の北,西部) が収公されて全島が江戸幕府の直轄となり,陸奥国伊達郡 (福島県) 梁川 9000石に移封された。 14年のちの文政4 (21) 年には蝦夷全島が返還されて復封され,当初 9000石であったが,天保2 (31) 年には1万石格となった。しかし,安政2 (55) 年には再び北辺防備のため福山,江差2港を含む小部分を残して蝦夷地の大半が収公されると,陸奥梁川,出羽東根 (山形県) 合せて3万石を与えられ,ほかに出羽尾花沢 (山形県) 1万余石を預地 (あずかりち) として付せられ,毎年1万 8000両の金子が交付されたが,藩庁は福山にとどまり,領地には代官を送るだけだった。明治1 (68) 年福山から厚沢部 (あっさぶ) 村の館 (たて) に居所を移し,版籍奉還後,館藩と称して廃藩にいたった。外様,江戸城柳間詰。

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デジタル大辞泉プラス

松前藩
北海道、松前(現:△北海道松前郡松前町▽)を本拠地として蝦夷地南部を領有した外様藩。藩主は松前氏。藩成立当初の蝦夷地では本格的な稲作が行われておらず、アイヌ交易、ニシン・サケ漁などの漁業権を米による知行の代わりとしたことが特徴。

出典:小学館
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藩名・旧国名がわかる事典

まつまえはん【松前藩】
江戸時代北海道松前(福山:現、北海道松前町)に藩庁をおいた外様(とざま)藩。藩校は徽徽典館(きてんかん)、明倫館(めいりんかん)(江戸藩邸内)。藩領は渡島(おしま)半島南西端の和人地にすぎなかったが、アイヌの住む蝦夷地(えぞち)を領有していた。和人地は15世紀中ごろ武田(蠣崎(かきざき))信広(のぶひろ)が統一、その5代蠣崎慶広(よしひろ)が、1593年(文禄2)に豊臣秀吉(とよとみひでよし)から、さらに1604年(慶長(けいちょう)9)には徳川家康(とくがわいえやす)から蝦夷地交易の独占権を認められた。この間の1599年(慶長4)に慶広が松前氏と改姓、1606年に福山館が完成した。蝦夷地では米がとれなかったため、松前藩は無高(むたか)で、のち1719年(享保(きょうほう)4)に1万石と公認されたが、これは格を定めたにすぎなかった。家臣の知行(ちぎょう)もアイヌとの交易権を分け与えるものだった。そのため家臣は収入を増やすためアイヌへの収奪を強め、それが原因で1669年(寛文(かんぶん)9)にシャクシャインの戦いが起きた。17世紀末以降、商場(あきないば)の経営を商人にゆだねるようになり、18世紀前半には場所請負制に移った。藩財政はそこからの運上金や、ニシン、サケ、コンブ漁の発展に支えられた。江戸後期、幕府はロシアに対する北方防備の必要性から1807年(文化4)に蝦夷地を直轄、松前氏は陸奥(むつ)国梁川(やながわ)(現、福島県伊達(だて)市)9000石に転封(てんぽう)(国替(くにがえ))となった。21年(文政4)に松前に復帰し、幕府の命により54年(安政1)までに福山城を築き、初めて城持ち大名となった。しかし、翌55年の箱館(はこだて)(函館)開港にともない、梁川に出羽(でわ)国東根(ひがしね)(現、山形県東根市)を加えた3万石で再び転封となった。維新期には箱館戦争で福山城下も被害を受けた。69年(明治2)に館藩(たてはん)と改称、同年、新政府は蝦夷地を北海道と改め、館藩は71年に廃藩となった。◇福山藩ともいう。

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

まつまえはん【松前藩】
松前(福山)を本拠に蝦夷地(えぞち)を領有した外様小藩。藩主は松前氏。室町中期から戦国時代に蝦夷地の南端部に和人政権を確立した蠣崎(かきざき)氏が,第5世慶広のとき,1593年(文禄2)豊臣秀吉より,ついで1604年(慶長9)徳川家康より蝦夷地交易の独占権を公認されて一藩を形成した。慶広は1599年松前と改姓し,翌1600年福山館の築城に着手,06年落成した。この館は松前氏が城主でなかったため正式には福山館または福山陣屋と称したが,領民とアイヌに対しては城と称した。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

松前藩
まつまえはん
北海道の松前を本拠に蝦夷地(えぞち)を領有した外様(とざま)小藩。藩主は松前氏。室町中期から戦国時代にかけて蝦夷地の南端部に和人(わじん)政権を確立した蠣崎(かきざき)氏が、第5世慶広(よしひろ)のとき、1593年(文禄2)豊臣(とよとみ)秀吉より、ついで1604年(慶長9)徳川家康より蝦夷地交易の独占権を公認されて一藩を形成した。この間慶広は1599年(慶長4)松前と改姓、翌1600年福山館の築城に着手、1606年落成した。松前藩の最大の特徴は、その大名知行(ちぎょう)権が石高(こくだか)に裏づけられた土地の支配権ではなく、単に蝦夷地(アイヌ)交易の独占権にすぎなかったところにある。このことが、松前藩の再生産構造はじめ、松前氏の家格、家臣の知行形態、財政構造、アイヌ政策、村落支配のあり方など、藩政の諸側面に決定的な影響を与えた。なかでも蝦夷地と和人地の区分、商場(あきないば)知行制、松前三湊(みなと)(松前、江差(えさし)、箱館(はこだて))での出入商船、物資、人物に対する沖口(おきのぐち)番所支配体制の確立が大名知行権を合理的に具現化するための大きな柱となった。松前氏は無高であったが、1719年(享保4)1万石格となった。その後幕府は、北辺防備問題から1799年(寛政11)東蝦夷地を仮直轄し、続いて1802年(享和2)永久直轄、1807年(文化4)蝦夷地全域を直轄するに及んで、松前氏は陸奥(むつ)国伊達(だて)郡梁川(やながわ)(福島県伊達市)に移封された。1821年(文政4)復封後は、商場知行制を廃止し、家臣への俸禄(ほうろく)形態も石高で表示し、金で支給するという擬制的蔵米(くらまい)知行制をとった。1831年(天保2)1万石格に復し、1849年(嘉永2)幕府から築城を命ぜられ、1854年(安政1)落成、福山城と称し、これによって初めて城持ち大名となった。しかし、翌1855年の箱館開港に伴い、西部乙部(おとべ)村以北、東部木古内(きこない)村以東の旧領地の大部分がふたたび幕領となり、替地として陸奥国伊達郡梁川、出羽(でわ)国村山郡東根(ひがしね)(山形県)に計3万石を与えられた。その後1869年(明治2)6月館(たて)藩と改称して廃藩置県に至った。[榎森 進]
『『新撰北海道史 第2巻 通説1』(1937・北海道庁) ▽金井圓・村井益男編『新編物語藩史 第1巻』(1975・新人物往来社) ▽『松前町史 通説編 第1巻 上』(1984・松前町)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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旺文社日本史事典 三訂版

松前藩
まつまえはん
江戸時代,蝦夷 (えぞ) 地(北海道)松前周辺を領有した外様小藩
福山藩ともいう。藩主は15世紀中ごろから北海道南部に勢力をはった武田氏(蠣崎 (かきざき) 氏)が。徳川家康から蝦夷地での交易権を得,福山(松前)に居城し松前氏を称した。産米がないため石高はなかった(のち5万石格)が,アイヌの漁獲物を交易して利益を得た。江戸後期と幕末に,ロシア対策と箱館開港などから2度天領となったため,陸奥(福島県)梁川 (やながわ) などに移封された。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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