●松浦党【まつらとう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
松浦党
まつらとう
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デジタル大辞泉
まつら‐とう〔‐タウ〕【松▽浦党】
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世界大百科事典 第2版
まつらとう【松浦党】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
松浦党
まつらとう
肥前(ひぜん)国松浦(まつら)地方(佐賀・長崎両県の玄界灘(げんかいなだ)に面する海岸地方)に割拠した弱小武士団に対する呼称。平安時代以来、嵯峨(さが)源氏の子孫と称する一族が土着し、名前に一字名を用いた。初めは宇野御厨(うののみくりや)の贄人(にえびと)として活動していたが、平安時代末期には武士化して、水軍的性格を有する武士団に発展した。しばしば朝鮮沿岸を侵す海賊の常習者とみられ、多分に蔑視(べっし)の意味を込めて松浦党と称された。これら松浦党は複雑な海岸線の各地に割拠し、一族を統率する惣領(そうりょう)的存在は認められない。鎌倉幕府成立後は、割拠する所領を安堵(あんど)されて御家人(ごけにん)となった。鎌倉時代には一族的団結を図る動きは希薄であったが、南北朝時代以後は、一族として共同の行動を意図して、一揆契諾(いっきけいだく)を結ぶ動きが活発となった。この一揆契諾には一族のみならず、他氏族の住人も参加しており、地域連合的性格を有していた。中世武士団の党的形態として多くの研究がある。
[瀬野精一郎]
『長沼賢海著『松浦党の研究』(1957・九州大学国史研究室)』▽『瀬野精一郎著『鎮西御家人の研究』(1975・吉川弘文館)』▽『真島節朗著『海と周辺国に向き合う日本人の歴史――飛鳥の将軍・阿倍比羅夫/中世の海と松浦島』(2003・郁朋社)』
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精選版 日本国語大辞典
まつら‐とう ‥タウ【松浦党】
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