●松田憲秀【まつだ のりひで】
デジタル版 日本人名大辞典+Plus
松田憲秀 まつだ-のりひで
北条氏直(うじなお)の臣で小田原衆の筆頭。天正(てんしょう)18年豊臣秀吉の小田原来攻の際,籠城(ろうじょう)を主張。のち豊臣方に内応しようとして氏直に捕らえられた。戦後,秀吉の命で同年7月5日切腹。
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世界大百科事典 第2版
まつだのりひで【松田憲秀】
?‐1590(天正18)
安土桃山時代の武将。尾張守。松田氏は相模国足柄上郡松田荘から出た武士といわれ,北条早雲の同国小田原城攻略時に服属し,後北条氏の重臣に列した。憲秀は1590年(天正18)豊臣秀吉の小田原征伐に際し,小田原籠城説を主張し,北条氏政・氏直とともに同城に拠った。しかし長男政尭とともに秀吉方に内応しようとして,6月発覚して捕らえられた。7月小田原開城の際,秀吉の命により自殺。【下村 信博】
安土桃山時代の武将。尾張守。松田氏は相模国足柄上郡松田荘から出た武士といわれ,北条早雲の同国小田原城攻略時に服属し,後北条氏の重臣に列した。憲秀は1590年(天正18)豊臣秀吉の小田原征伐に際し,小田原籠城説を主張し,北条氏政・氏直とともに同城に拠った。しかし長男政尭とともに秀吉方に内応しようとして,6月発覚して捕らえられた。7月小田原開城の際,秀吉の命により自殺。【下村 信博】
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