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桂庵玄樹【けいあんげんじゅ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

桂庵玄樹
けいあんげんじゅ
[生]応永34(1427).周防山口
[没]永正5(1508).6.15. 薩摩,伊敷
室町時代後期の臨済宗。別号は島陰応仁1 (1467) 年遣明使天与清啓に従って中国に渡り,文明5 (73) 年帰朝し石見から筑後肥前など諸国をめぐって儒学を講じ,同 10年島津忠昌に招かれ薩摩に桂樹庵を開講し,薩南学派の基をつくった。著書に『外集』『島陰漁唱』『島陰雑考』『南游集』がある。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

けいあん‐げんじゅ【桂庵玄樹】
[1427~1508]室町後期の臨済宗の僧。長門(ながと)の人。別号、島陰。に渡り、在明7年ののち帰国。薩摩(さつま)の島津忠昌の帰依を受けて桂樹庵を開き、「大学章句」など朱熹新注による四書を日本で初めて刊行し、薩南学派とされる。「桂庵和尚家法倭点」「島陰漁唱」など。

出典:小学館
監修:松村明
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

桂庵玄樹 けいあん-げんじゅ
1427-1508 室町-戦国時代の僧。
応永34年生まれ。臨済(りんざい)宗。南禅寺の景蒲玄忻(けいほ-げんきん)の法をつぐ。応仁(おうにん)元年明(みん)(中国)にわたって朱子学をまなぶ。帰国後,薩摩(さつま)(鹿児島県)島陰寺で朱子学をおしえ,文明13年伊地知(いじち)重貞とともに朱子の「大学章句」を刊行。薩南学派の祖とよばれる。永正(えいしょう)5年6月15日死去。82歳。周防(すおう)(山口県)出身。別号に島陰。著作に「島陰漁唱」「桂庵和尚家法倭点」など。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

けいあんげんじゅ【桂庵玄樹】
1427‐1508(応永34‐永正5)
室町・戦国期の臨済宗の禅僧。別に島陰とも号す。周防(山口県)に生まれたが,家系は明らかでない。16歳で出家し,南禅寺雲興庵の景蒲玄忻に法を受けた。また,建仁寺の惟正明貞,東福寺の景召瑞棠などに参じ,儒学の講説を受けた。この後,長門(山口県)の永福寺に移り,1467年(応仁1)天与清啓の遣明使に随行して入明し,73年(文明5)に帰朝するが,当時,京都は応仁・文明の乱の最中であり,このため京都に帰ることなく石見(島根県)に乱を避けた。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

桂庵玄樹
けいあんげんじゅ
(1427―1508)

室町時代の臨済(りんざい)宗聖一(しょういち)派の僧。別号は島陰(とういん)。長門(ながと)(山口県)赤間関の人。9歳で南禅寺雲興庵(うんこうあん)の景蒲玄忻(けいほげんきん)に師事し、おもに京都五山で内外の典籍を学び、宋儒(そうじゅ)の学に長じた。1467年(応仁1)遣明(けんみん)使に従って入明、朱子学などを学んで帰国し、島津氏の招聘(しょうへい)により薩摩(さつま)(鹿児島県)に桂樹庵(島陰寺)を開いて宋学を講じた。1481年(文明13)朱子(朱熹(しゅき))の新注を刻した『大学章句』を刊行するなどして、薩南(さつなん)学派の祖となった。また日向(ひゅうが)(宮崎県)安国寺を兼住、さらに建仁寺、南禅寺にも住し、永正(えいしょう)5年6月15日示寂。『島陰漁唱』『島陰雑考』『家法和点』などの著がある。

[石川力山 2017年6月20日]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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旺文社日本史事典 三訂版

桂庵玄樹
けいあんげんじゅ
1427〜1508
室町後期の臨済宗の僧。薩南学派の祖
長門 (ながと) の人。1467年入明し『尚書 (しようしよ) 』を学ぶ。'73年帰国後,石見 (いわみ) ・筑後・肥前を遍歴し,釈奠 (せきてん) (孔子を祭る典礼)を行い儒書を講じた。'78年薩摩の島津忠昌に招かれ,朱子学を講じ薩南学派をおこした。『大学章句』を初めて出版,四書五経の句読法を一定した「家法倭点」を定め,日本朱子学史上に一時期を画した。また詩文集として『島陰漁唱』などがある。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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