●梁【はり】
梁
はり
beam
垂直材である
柱の上に水平に置き,上からの
荷重を支える
部材。梁のうち,建築学で
家屋の
棟方向にかけたもの,
土木工学で
橋梁に用いるものを特に
桁ということがある。梁は軸に
直角方向の外力を受けて,主として曲げによって荷重を支えるのが特徴で,鉛直荷重だけを支持する
小梁と,通常は
床や小梁にかかる荷重を受けているが,
地震や台風時には柱などとともに水平力にも抵抗する
大梁とがある。力学的には,梁を支える方法によって,梁の
両端を支えた
単純梁,
中間にも
支点を設けた
連続梁,連続梁の中間を切ってピンでつないだ
ゲルバー梁,両端を完全に固定した固定梁,固定梁の
一端を開放した
片持ち梁などに分類される。
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梁
りょう
Liang
中国,南朝 (→
南北朝) の一
王朝 (502~557) 。
南斉末,雍州刺史であった
蕭衍 (しょうえん。→
武帝) が梁の天監1 (502) 年
斉の和帝の
禅譲を受けて建てた王朝。蕭衍の治世は約 50年に近いが,その間,文運は栄え,仏教も盛んであり,対外関係も比較的平穏であった。しかし武帝は同7年の天監の改革で士族だけを政治的支配層=官吏とする政策を打出したため,各地の小豪族層や庶民の背反と不信を招き,国政の乱れが表面化した。武帝は
貴族層の体質改善をはかったが,成功しなかった。太清2 (548) 年
侯景の乱が起り,首都
建康は陥落し,武帝は失
意のうちに死に,梁国は大混乱に陥った。各地に駐屯する梁の諸軍中,最も
勢力のある荊州刺史の湘東王蕭繹が,侯景のいる建康へ王僧弁らの大軍を派遣。承聖1 (552) 年侯景が敗死すると,蕭繹は江陵で即位した (元帝) 。しかしこうした混乱に乗じて,
西魏は江陵を攻略し,元帝を殺して梁の百官を関中に強制移住させた。建康の破壊と江陵の陥落とは南朝貴族制に決定的打撃を与えた。建康に駐屯していた王僧弁は,北斉の圧力で,貞陽侯蕭淵明を迎えて帝位につけたが,これに反対した
陳覇先 (→
武帝〈南朝陳〉) は王僧弁を殺し,北斉の進攻防止に成功して,武帝の子晋安王蕭方智 (敬帝) を
擁立,やがて梁の太平2 (557) 年敬帝は陳覇先に位を譲って,ここに梁朝は滅亡した。
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うち‐ばり【×梁】
「
うつばり」に同じ。
「雨の日をもらすは惜しき商ひに―広き
殿作りせん」〈三十二番職人歌合〉
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うつ‐ばり【×梁】
《
内張りの意。
平安時代までは「
うつはり」》
屋根の
重みを支えるための
横木。はり。
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はり【×梁】
構造物の
上部からの荷重を支えるため、または柱をつなぐために架け渡す水平材。特に、
桁(けた)に対して直角に渡されたものをさす。
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やな【×梁/×簗】
川の
瀬に
杭(
くい)などを八の
字形に並べ、水をせき止めて1か所をあけ、そこに
梁簀(やなす)を張って流れてくる魚を受けて捕る仕掛け。上り梁・下り梁などがある。
《季 夏》「手に足に逆まく水や―つくる/泊雲」
[
補説]「簗」は
国字。
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りょう〔リヤウ〕【梁】
中国の
国名。
戦国時代、
魏(ぎ)の恵王が都を大梁(
開封)に移してからのちの称。
南北朝時代の
南朝の一。502年、
斉の蕭衍(しょうえん)(
武帝)が斉の
禅譲を受けて
建国。建康(
南京)を都とし、南朝の最盛期を現出したが、548年、侯景の乱
以後衰退し、557年、
陳に滅ぼされた。

⇒
後梁(こうりょう)
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りょう【梁】[漢字項目]
[
人名用漢字] [音]リョウ(リャウ)(漢) [訓]はり うつ
ばり やな
1 屋根を支えるため両側の支柱に架け渡す横木。はり。また、はりに似たもの。「梁材・
梁塵(りょうじん)・
梁木/
虹梁(こうりょう)・
脊梁(せきりょう)・
柱梁・
棟梁・
鼻梁」
2 橋脚を立てて川の両岸に架け渡した木の橋。「
橋梁・
石梁」
3 川をせき止めて魚を捕る装置。やな。「魚梁」
4 はねまわる。「
跳梁」
5 中国の王朝名。「
後梁」
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梁
建物の水平短径方向に架けられ、床や屋根などの荷重を柱に伝える材の事。主に曲げ
応力を担い、鉛直荷重を伝えるが、地震などに際しては水平方向の荷重を支える事にもなる。梁にかけられた荷重は、柱・
壁・大梁に伝えられる。梁の端部に柱があるものを大梁、柱に直接繋がっていないものを小梁とよぶ。
木造・鉄骨造・SRC造と算定方法は異なる。
装飾などを施して、わざと見える様にしたものを、露出梁という。
出典:リフォーム ホームプロ
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はり【梁 beam】
ビームともいう。
建物,橋などにおいて,屋根,床などの荷重を支持するため,あるいは柱,壁などの鉛直部材を相互に連結補強するために水平にかけ渡される部材の
総称。
狭義には,構造物の短辺方向にかけ渡したものをいい,梁に交叉する方向に配置されて梁を受ける部材は桁girderと呼んで
両者を区別していたが,現在では特別な場合以外,両者を区別することは少ない。木造建築においては,使用する
部位,位置を冠して,小屋梁,
陸梁などの
呼名が用いられており,一般の建築では,材料によって鉄骨梁,鉄筋コンクリート梁などと,また力の伝達順序,規模によって大梁,小梁などと呼ばれている。
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りょう【梁 Liáng】
中国,五代最初の王朝。907‐923年。後梁ともいう。建国者
朱全忠は
黄巣の反乱軍の中心部将。唐に下って
汴州(べんしゆう)宣武軍節度使に任ぜられた。汴州という地の
利によって勢力を拡大し,唐帝を
洛陽に移して自己の保護下におくとともに,皇帝側近の
宦官や貴族を大粛清して唐的伝統を絶ち切った。907年(開平1),帝位につき,国を大梁と号し,汴州開封府を都として,
貴族政治に代わる最初の
武人政権を
華北に樹立した。
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りょう【梁 Liáng】
中国,
梁(南朝)の元帝の政権が西魏によって滅ぼされた後,江陵(湖北省江陵)に建てられた王朝。555‐587年。後梁とよばれる。初代
天子の
蕭詧(しようさつ)は梁の武帝の孫,
昭明太子の第3子。西魏・北周・隋の3代にわたって北朝の
傀儡(かいらい)王朝として存在し,
境域もせまく,軍政長官たる江陵総管のきびしい監視のもとにおかれた。政治的にはまったく無力であったが,江南の文化を北朝に伝えるうえで一定の役割を果たした。
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りょう【梁 Liáng】
中国,南朝四王朝の一つ。502‐557年。4代の天子をかぞえるが,実際は治世約50年に及び,〈みずから天下を得,みずから天下を失う〉と評せられる
武帝蕭衍(しようえん)一代の王朝であったといえる。蕭衍は南斉王室の疎族。雍州刺史であったとき,南斉の
東昏侯の
暴政を除くべく
挙兵,王朝を奪った。一流の知識人であった武帝は貴族を尊重したが,彼が尊重したのはその門地よりもむしろ
教養であり,また人材発掘のために貴族の
子弟を教育する国子学と
寒門の子弟を教育する五館の学校制度を整えるなど,貴族制に一定の
手直しを加えた
施策には見るべき点があった。
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はり【梁】
建物などの構造物で、柱などを支点として水平に渡す
構造部材。建物の場合、柱の頭をつなぎ、その上の床や屋根の荷重を支える。特に、木造の日本建築では、棟(むね)と直角に渡すものをいい、棟と
平行に渡す
桁(けた)と区別する。
出典:講談社
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うつ‐ばり【梁】
〘名〙 (「うつはり」とも)
① 家屋や橋などの骨組みの一つ。柱と柱の上に渡し、棟の重みを受けて屋根を支えるもの。横木。うちばり。梁(はり)。
※書紀(720)仁徳元年正月(前田本訓)「即ち宮垣(みかき)室屋(おほとの)堊(うはぬり)せず。桷(はへき)梁(ウツハリ)柱(はしら)楹(うだち)藻餝(えがきかざ)らず」
※米欧回覧実記(1877)〈久米邦武〉二「此製鉄場には二階の設なし、梁(ウツバリ)上に重力の器械を設く」
② (①から比喩的に) ある組織を支える中心的な存在。また、そのような人。棟梁(とうりょう)。
※書紀(720)推古三年五月(岩崎本訓)「此の両
(ふたり)の僧、仏教
(ほとけのみのり)を弘演
(ひろめ)て、並に三宝の棟梁
(むねウツハリ)と為
(な)る」
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はり【梁】
〘名〙
① 木造建築で、柱の上にはり渡し、上に束や扠首(さす)をおき屋根をささえるための横木。上部の重みをささえたり、柱を強固にしたりする。うつばり。〔和玉篇(15C後)〕
② 細長い材料がそれぞれの支点でささえられ、材に直角または斜めに曲げの力がはたらいているもの。ビーム。〔工学字彙(1886)〕
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りょう リャウ【梁】
[一] 中国、戦国時代の魏が、紀元前三六一年に大梁(開封)に遷都した以後の国号。
[二] 中国、南北朝の南朝第三の王朝(五〇二‐五五七)。蕭衍(武帝)が斉の禅譲を受けて建国。南朝文化の最盛期を現出したが、侯景の乱以後衰退し、陳に滅ぼされた。
[三] 中国、五代最初の王朝(九〇七‐九二三)。通称は後梁。朱全忠(太祖)が唐を滅ぼして建国。二代で後唐に滅ぼされた。首都は開封。
出典:精選版 日本国語大辞典
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梁
りょう
①南北朝の南朝第3の王朝 502〜557
②五代最初の王朝 907〜923
斉の一族蕭衍 (しようえん) (武帝)が斉に代わって建国。その治世48年間は南朝文化の最も栄えた時期で,特に仏教が盛んであった。しかしその末年に,西魏の侵入で国は分裂し,梁は6代56年で陳に奪われた。
通称は後梁。➡
後梁 (こうりよう)
出典:旺文社世界史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
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「梁」の用語解説はコトバンクが提供しています。
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