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楽焼【らくやき】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

楽焼
らくやき
ろくろを用いず手作りで成形した低温焼成の軟質陶器で,特に楽家の茶陶をさす場合が多い。水差し,向付 (むこうづけ) ,皿などもあるが茶碗が主。通常は黒楽と赤楽の2種類。天正7 (1579) 年頃,千利休指導によって初代長次郎創始し,聚楽焼と呼ばれた。楽焼の名は2世常慶が豊臣秀吉から「楽」字のを与えられ,3世道入 (俗称ノンコウ) からこれを高台 (こうだい) 内に押印したのに始る。道入時代から焼成火度が高まり釉 (うわぐすり) に光沢が現れ,器形や施釉法にも変化が目立つようになった。道入以前を「古楽」と呼ぶこともある。道入以後,楽家は現在の 15世まで業を継いでいる。また楽焼にはこの本のほか,脇窯として楽一族の玉水焼,道楽焼,宗味焼などがあり,別窯として本阿弥光悦本阿弥光甫尾形乾山などの作陶がある。なお,しろうとが作る焼成度の低い焼物も,一般に楽焼と呼ばれる。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

らく‐やき【楽焼(き)】
手捏(てづく)ねで成形し、低火度で焼いた軟質の陶器。天正年間(1573~1592)京都の長次郎千利休の指導で創始。赤楽・黒楽・白楽などがある。2代常慶が豊臣秀吉から「楽」の字の印を下賜されて楽を家号として以降、楽家正統とその傍流に分かれ、前者を本窯、後者を脇窯という。聚楽(じゅらく)焼き。楽。
一般に、素人が趣味などで作る、低火度で焼いた陶器。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
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世界大百科事典 第2版

らくやき【楽焼】
ろくろを用いず手づくねによって成形され,家屋内の内窯(うちがま)と呼ばれる小規模な窯で焼かれた施釉陶器。焼成温度は比較的低い。作品の多くは茶碗で,ほかに水指(みずさし),向付(むこうづけ),香合などの茶器も焼かれている。本来楽焼は,京都の陶工長次郎に始まる楽家歴代(本窯(ほんがま)と呼ぶ)の作品と,楽家の作陶法をある時期にうけついだ脇窯(わきがま),さらに楽家の窯を基本として各時代の茶人が手づくねによって造った別窯(べつがま)の作品をいうが,広義には京都の諸窯や各地の御庭焼(おにわやき)で焼造された同質の陶器を,すべて楽焼と呼んでいる。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

楽焼
らくやき

日本の陶器の一作種。楽焼はいわば普通名詞としての楽焼と、固有名詞としての楽焼とに大別される。普通名詞の楽焼とは、手捏(てづくね)で成形し、軟陶胎の素地(きじ)に鉛釉(ゆう)を用いて上絵付(えつけ)する三彩の一種で、800℃内外の焼炎で焼き上げた低火度施釉陶である。これには楽しみの焼物という意味も含まれ、趣味の焼物として広く愛好されている。

 固有名詞としては、京都の茶陶窯である楽焼をさす。創始期の桃山時代には聚楽(じゅらく)焼と称されており、のちに楽焼とよばれるようになった。豊臣(とよとみ)秀吉が1586年(天正14)京都で建立に着手した聚楽第の御庭(おにわ)焼が、その発祥ではないかと推測される。瓦師(かわらし)の長次郎を祖とする楽焼は1574年(天正2)にその活動が知られ、86年のときには、『松屋会記(まつやかいき)』に「宗易(そうえき)形の茶碗(ちゃわん)」の記述が認められる。これは、千利休(せんのりきゅう)(宗易はその号)が好尚をもった茶碗を長次郎に焼かせて、侘(わ)びの茶の湯にふさわしい茶碗の一つの象徴を具現したといってよい。半筒形の独特の形で、赤土に透明性鉛釉を施す赤楽(あからく)釉、赤土か白土に鉄呈色の鉛釉を施し、焼成中に一挙に窯から引き出してしまう黒楽釉のほか、緑釉、黄釉も用いて一家流をなした。茶碗のほか香炉、水指(みずさし)、食器なども焼いたが、その技術は、16世紀にかなり輸入されて珍重されていた南中国製の三彩陶(当時は交趾(こうち)焼とよんだ)に従っていたことは疑いない。

 創始期の楽焼の工房は、長次郎以外にも宗慶(そうけい)、宗味(そうみ)、庄右衛門(しょうえもん)、吉左衛門、常慶らが参加していたことが1688年(元禄1)の楽家文書にみえる。宗慶は田中姓で、その子常慶が楽家2代目を相続したが、1635年(寛永12)に常慶が没し、その長男吉兵衛道入(どうにゅう)(俗称のんこう)が3代目を継ぎ、長次郎の古典を破って即妙な名碗を焼き、茶碗づくりの道統を展開させた。その後は一入(いちにゅう)、宗入、左入、長入、得入、了入、旦入(たんにゅう)、慶入、弘入(こうにゅう)、惺入(せいにゅう)、覚入と続き、当代吉左衛門は15代になる。楽家が田中姓を改めて現行の楽姓を名のる時期は判然としないが、5代宗入(1664―1716)のころと推測される。

 楽家の茶碗づくりは、脇窯(わきがま)とよばれる支流を生んでいる。江戸初頭の天下の数寄者(すきしゃ)である本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)・光甫(こうほ)(祖父と孫)は脇窯とはされないが、楽家との交流のなかから楽焼茶碗中の珠玉の名作をつくった家職としての脇窯には、一入の庶子弥兵衛(やへえ)が京都府綴喜(つづき)郡井手(いで)町玉水(たまみず)に築いた玉水焼、また、大樋(おおひ)長左衛門が1666年(寛文6)に金沢の卯辰(うたつ)山山麓(さんろく)に開いた大樋焼があり、この二つが脇窯の代表的存在とされている。

[矢部良明]

『赤沼多佳編『日本陶磁全集21 楽代々』(1976・中央公論社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

らく‐やき【楽焼】
〘名〙
① 陶器の一つ。千利休の指導を得て京都の長次郎が創始した茶器。豊臣秀吉から「楽」の印を賜わってから、家号としてこれを用いる。中国の交趾焼の技術をもとに、手捏(てづく)ねで成形し、低い火度で焼きあげたもので、釉薬の色から白楽・黒楽・赤楽などの呼び名がある。聚楽焼。〔雍州府志(1684)〕
② ①と同系の低い火度の釉薬を用いて、素人などが趣味で作る焼物。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

楽焼
らくやき
安土桃山時代,京都の楽家が創始した陶器
低温度で焼かれた手づくりの陶器で,茶碗・茶入・水指などがある。初代長次郎に始まり,2代目常慶が豊臣秀吉から「天下一」の称号と楽字の金・銀印を与えられて楽姓を称し,千利休の指導ですぐれた茶陶を生んだ。江戸初期にでた3代目道入は「のんこう」と称され,本阿弥光悦の影響で独特な軽妙さを示し,以後代々個性的な作風で有名。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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