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榎本武揚【えのもと たけあき】

美術人名辞典

榎本武揚
幕末・明治幕臣・政治家・子爵。江戸生。通称は釜次郎、号は梁川オランダ留学後、幕府の海軍副総裁となる。明治維新の時、五稜郭にたてこもり官軍に抵抗するが、のち許され、駐露公使としてロシア樺太・千島交換条約を締結した。以後海軍卿・逓信相・外相等を歴任。明治41年(1908)歿、73才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

えのもと‐たけあき【榎本武揚】
[1836~1908]政治家。通称釜次郎。江戸の人。オランダに留学。帰国後、幕府の海軍奉行となる。戊辰(ぼしん)戦争では箱館の五稜郭(ごりょうかく)にこもり、政府軍と交戦するが降伏特赦され、北海道開拓使となる。のち、ロシアとの間で樺太(からふと)・千島交換条約を締結。文部外務などの各大臣を歴任。
安部公房による長編小説。を主人公とする評伝風のフィクション。昭和40年(1965)刊行。昭和42年(1967)に戯曲化、芥川比呂志の演出により劇団雲が初演し、第22回文化庁芸術祭賞を受賞した。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

榎本武揚 えのもと-たけあき
1836-1908 幕末-明治時代の武士,政治家。
天保(てんぽう)7年8月25日生まれ。榎本左太夫次男。幕臣。長崎の海軍伝習所にまなび,文久2年オランダに留学。帰国後海軍副総裁。明治元年蝦夷地(えぞち)(北海道)箱館に独立政権をたてるが翌年降伏。5年特赦。8年特命全権公使としてロシアと樺太千島交換条約を締結。のち逓信,文部,外務,農商務の各大臣を歴任した。明治41年10月26日死去。73歳。江戸出身。通称は釜次郎。号は梁川。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

江戸・東京人物辞典

榎本武揚
1836〜1908(天保7〜明治41)【幕臣】北海道・函館に独立国家を樹立。明治期も政治家として活躍。幕臣・政治家。 江戸生まれで、西丸徒目付の2男。昌平坂学問所で学び、樺太探検に参加、長崎海軍伝習所生となり、1862年オランダに留学、66年幕府注文の開陽丸とともに帰国し、幕府海軍副総裁となる。戊辰戦争で幕府艦隊を率いて北上、箱館に「蝦夷共和国」樹立を宣言した。五稜郭の戦いで新政府軍に降伏。明治政府下では駐ロシア公使として樺太千島交換条約を締結、北海道開発に尽くすなど、諸大臣を歴任し政治家として活躍した。子爵。

出典:財団法人まちみらい千代田
監修:江戸東京博物館 都市歴史研究室長 北原 進
(C) 財団法人まちみらい千代田
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世界大百科事典 第2版

えのもとたけあき【榎本武揚】
1836‐1908(天保7‐明治41)
幕末・明治の軍人,政治家。幕臣の次男で通称釜次郎,号は梁川。江戸生れ。1856年(安政3)長崎海軍伝習所に派遣され,62年(文久2)オランダへ留学し自然科学,法学などを広く学んだ。竣工した開陽丸で67年(慶応3)帰国,幕府海軍幹部の道を歩み68年1月徳川新体制のもとで海軍副総裁。江戸開城後も軍艦の引渡しを拒否,主力艦を率いて北海道に渡り蝦夷島総裁に選ばれたが,69年(明治2)新政府軍の総攻撃を受けて降伏した(五稜郭の戦)。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

えのもとたけあき【榎本武揚】
1836~1908 政治家。江戸下谷生まれ。旧幕臣。通称、釜次郎。江戸開城の際、海軍副総裁として軍艦引き渡しを拒否、箱館五稜郭に拠って官軍に抗した。のち、明治政府の下で諸大臣を歴任し、特命全権公使として樺太・千島交換条約を締結。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

榎本武揚
えのもとたけあき
[生]天保7(1836).8.25. 江戸
[没]1908.10.26. 東京
江戸時代末期の幕臣。明治新政府の閣僚。子爵。幕臣榎本円兵衛武規の次男。通称は釜次郎。昌平黌に学び,次いで長崎に派遣されてオランダ人から海軍の伝習を受ける。帰東して海軍操練所教授,文久2 (1862) 年オランダに留学生として派遣され,帰国後海軍奉行となった。戊辰戦争のとき,『開陽丸』ほか旧幕艦数隻を率いて箱館に入り,五稜郭に拠って官軍に抗戦 (→五稜郭の戦い ) 。ロシアとの提携をはかり,北海道に工務授産計画を立てるなど,同地領有の意図をいだいたが,明治2 (69) 年5月官軍に降伏,投獄された。同5年6月開拓使に登用され,1874年には海軍中将。ロシア駐在公使となって樺太=千島交換条約を締結。 80年海軍卿。のち,清駐在公使を経て,85年初代逓信相となった。以後,文相,農商務相,外相を歴任。旧幕臣のなかでは,例のない高い地位を明治政府で占めた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

榎本武揚
えのもとたけあき
(1836―1908)
旧幕臣、明治政府の政治家、外交官。通称釜次郎(かまじろう)、梁川(りょうせん)と号した。天保(てんぽう)7年8月25日、幕臣榎本武規(たけのり)(1790―1860)の次男として江戸に生まれる。1856年(安政3)長崎海軍伝習所に入り、ペルス・ライケンG・C・C・Pels Rijcken(1810―1889)、カッテンディーケに機関学などを、ポンペに化学を学び、1858年築地(つきじ)軍艦操練所教授となる。1862年(文久2)からオランダに留学。フレデリックスについて万国海律を学ぶ。語学をはじめ、軍事、国際法、化学など広い知識を得て、1867年(慶応3)、幕府の注文した軍艦開陽丸に乗って帰国、同艦の船将となる。1868年(慶応4)海軍副総裁となる。江戸開城、上野戦争で幕府が崩壊したのちも、幕府軍艦の明治政府への引き渡しを拒否、旧幕軍を率いて品川沖から脱走。箱館(はこだて)の五稜郭(ごりょうかく)に拠(よ)って政府に反抗、新政権を宣言したが、翌1869年5月官軍に降伏、投獄された。黒田清隆(くろだきよたか)、福沢諭吉(ふくざわゆきち)らの尽力により1872年出獄。まもなく北海道開拓の調査に従事。1874年特命全権公使としてロシアに駐在、翌1875年樺太千島(からふとちしま)交換条約を締結した。1882年駐清(しん)特命全権公使となり、李鴻章(りこうしょう)と折衝、天津(てんしん)条約の調印に助力。1885年帰国。以後、同年逓信(ていしん)、1887年農商務、1889年文部、1891年外務、1894年農商務の各大臣、1892年枢密顧問官を歴任。1887年子爵。
 1878年ロシアからの帰途シベリアを横断、各地の地質などを視察。1879年地学協会の創立を唱えて副会長となる。語学に優れ、科学知識も当代一流であった。北海道の地質・物産の調査報告が多く、外地の視察報告もあって、科学・技術官僚としても注目される。五稜郭において、玉砕を決意するに際し、『万国海律全書』が兵火のために烏有(うゆう)に帰すことなきよう、これを官軍に贈ったことは世に知られている。明治41年10月26日没。[片桐一男]
『榎本隆充編『榎本武揚未公開書簡集』(2003・新人物往来社) ▽加茂儀一著『榎本武揚』(中公文庫)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

えのもと‐たけあき【榎本武揚】
江戸末期の幕臣。明治期の政治家。通称釜次郎。江戸に生まれ、昌平黌(しょうへいこう)に学ぶ。オランダ留学後、江戸開城に際し、幕府艦隊を率いて脱出。箱館五稜郭に立てこもり、箱館戦争を起こしたが、翌年降伏。新政府のもとで海軍中将、諸大臣、枢密院顧問官などを歴任。天保七~明治四一年(一八三六‐一九〇八

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

榎本武揚
えのもとたけあき
1836〜1908
幕末・明治時代の政治家
幕臣出身。オランダ留学後,幕府の海軍奉行となる。戊辰 (ぼしん) 戦争の際,幕府海軍副総裁として艦隊を率いて脱走し,箱館(現函館)の五稜郭に拠って官軍に最後の抵抗を行い,降伏して入獄。のちに許され,駐露公使として1875年樺太・千島交換条約を締結。その後,海軍卿,文部・外務大臣枢密顧問官などを歴任した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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