●橋本多佳子【はしもと たかこ】
美術人名辞典
橋本多佳子
出典:(株)思文閣
デジタル版 日本人名大辞典+Plus
橋本多佳子 はしもと-たかこ
明治32年1月15日生まれ。昭和10年から山口誓子(せいし)に師事,23年「天狼(てんろう)」創刊に同人として参加。「七曜」を創刊,主宰した。昭和38年5月29日死去。64歳。東京出身。旧姓は山谷。本名は多満。句集に「海燕(うみつばめ)」「紅糸(こうし)」など。
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世界大百科事典 第2版
はしもとたかこ【橋本多佳子】
俳人。東京都生れ。本名は多満(たま)。1922年に俳句に手を染め,35年から山口誓子に師事した。48年に創刊された俳句同人誌《天狼(てんろう)》で特に活躍,戦後の代表的女流俳人と評価されている。35年以前の習作期に,〈わが行けば露とびかかる葛の花〉(《海燕(うみつばめ)》1941)のような大胆な把握が示されていたが,その大胆さが多佳子の句法として確立するのは,第3句集《紅糸(こうし)》(1951)においてである。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
橋本多佳子
はしもとたかこ
(1899―1963)
俳人。東京生まれ。本名多満(たま)。旧姓山谷。1917年(大正6)橋本豊次郎と結婚、のち小倉(こくら)に住む。22年(大正11)より俳句を志し、杉田久女(ひさじょ)の手ほどきを受ける。『ホトトギス』『馬酔木(あしび)』を経て、山口誓子(せいし)に師事、『天狼(てんろう)』創刊に同人として参加。48年『七曜(しちよう)』を創刊主宰。「男の道を歩く稀(まれ)な女性作家」といわれ、個性的な嘆きや寂寥(せきりょう)感を力強く表現した。句集に『海燕(うみつばめ)』(1941)、『信濃(しなの)』(1947)、『紅絲(こうし)』(1951)などがある。
[鷹羽狩行]
蛍籠(ほたるかご)昏(くら)ければ揺(ゆ)り炎(も)えたたす
『『橋本多佳子全句集』全1巻(1976・立風書房)』▽『『増補現代俳句大系6・8』(1981・角川書店)』
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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