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橋本宗吉【はしもとそうきち】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

橋本宗吉
はしもとそうきち
[生]明和1(1763)
[没]天保7(1836).5.1. 大坂
江戸時代後期の蘭学者。名は直政,のちに鄭。字は伯敏,号は曇斎,伯軒。大坂で傘の紋書き職人をしていたが,奇才を見込まれて小石元俊,間長涯の助力で寛政2 (1790) 年に大槻玄沢に入門。帰坂後は蘭学塾絲漢堂を開き,大坂の蘭学の開祖となった。訳書に『か蘭新訳地球全図』『内外三法方典』『ショメール奇方』『トーマス解体書』『エレキテル究理原』などがある。また,自分で摩擦起電機を製作し,実験を公開した。

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デジタル大辞泉

はしもと‐そうきち【橋本宗吉】
[1763~1836]江戸後期の蘭学者。大坂の人。名は。字(あざな)は伯敏。号、曇斎。大槻玄沢医学・蘭学を学び、蘭書の翻訳語学教授に当たった。エレキテル(電気)の実験を行い、「阿蘭陀始制エレキテル究理原」などをした。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

橋本宗吉 はしもと-そうきち
1763-1836 江戸時代後期の蘭学者。
宝暦13年生まれ。江戸で大槻玄沢(おおつき-げんたく)にまなび,大坂で蘭方医となる。医学・天文・地理書を翻訳し,大坂蘭学の基礎をきずいた。天保(てんぽう)7年5月1日死去。74歳。阿波(あわ)(徳島県)出身。名は直,鄭。字(あざな)は伯敏。号は曇斎,糸漢堂。著作に「阿蘭陀(オランダ)始制エレキテル究理原」など。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

はしもとそうきち【橋本宗吉】

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

はしもとそうきち【橋本宗吉】
1763~1836 江戸後期の蘭学者。大坂の人。大槻玄沢に蘭学を学び、大坂で医業のかたわら、医学・天文・地理・電気に関する著作・翻訳に従事。著「阿蘭陀始制エレキテル究理原」など。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

橋本宗吉
はしもとそうきち
(1763―1836)
蘭学(らんがく)者。幼名を直政、のちに鄭(てい)と改め、宗吉は通称で、字(あざな)を伯敏、伯軒、絲漢(しかん)堂、曇斎(どんさい)などと号した。幼少のころ阿波(あわ)(徳島県)から大坂に移住し、傘の紋かきの仕事に従事していたが、エレキテルなどの奇器にも非常な興味をもっていた。間重富(はざましげとみ)と小石元俊(こいしげんしゅん)に才能をみいだされ、その援助で28歳のころ江戸に出て、大槻玄沢(おおつきげんたく)の蘭学塾「芝蘭(しらん)堂」で学んだ。帰坂後は、間や小石のために医学・天文・地理書などの翻訳をした。初めは北堀江(現、大阪市西区)に住んでいたが、安堂寺町(現、中央区)に移り、文政(ぶんせい)(1818~1830)の初めころには車町(現、南区塩町)に住み、塾を開いて絲漢堂と称し、蘭学を教え、一方、医師として医業にも携わった。1827年(文政10)切支丹婆(キリシタンばばあ)事件が起こり、弟子の藤田顕蔵(ふじたけんぞう)(1770/1781―1829)がこれに関連して捕らえられたため、宗吉は一時、芸州竹原(広島県竹原市)に逃れたといわれる。このころからしだいに不遇となり、天保(てんぽう)7年5月1日74歳で没。墓は竹原市上本町の念仏寺にある。
 大坂蘭学の開祖といわれ、弟子に伏屋素狄(ふせやそてき)、大矢尚斎(おおやしょうさい)(1765―1826)、各務文献(かがみぶんけん)(1755―1819)、藤田顕蔵、斎藤方策(さいとうほうさく)(1771―1849)、中天游(なかてんゆう)などがいる。著書や訳書も多い。1796年(寛政8)『(オランダ)新訳地球全図』をつくり、『蘭科内外三法方典』(1805刊)を翻訳、1819年(文政2)には『西洋医事集成宝函』(巻1~6は1819~1823刊、以下30巻まで未刊)を編んでいる。オランダのボイスVoyceの本などを基に『エレキテル訳説』を書き、さらに『阿蘭陀(オランダ)始制エレキテル究理原』(1811)を著している。『エレキテル究理原』は出版はされなかったが、日本で初めてのエレキテル実験書として著名である。[菊池俊彦]
『『日本科学古典全書 第6巻』(1943/復刻版・1978・朝日新聞社) ▽『江戸科学古典叢書11 エレキテル全書他』(1978・恒和出版) ▽『江戸科学古典叢書26 三法方典』(1979・恒和出版)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

はしもと‐そうきち【橋本宗吉】
江戸後期の蘭学者。大坂の人。名は鄭、号は曇斎、字(あざな)は伯敏。宗吉は通称。大坂で医学、蘭学の塾を開き、日本で最初に電気学を研究した。著「阿蘭陀始制エレキテル究理原」。宝暦一三~天保七年(一七六三‐一八三六

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

橋本宗吉
はしもとそうきち
1763〜1836
江戸後期の蘭学者
大坂の人。号は曇斎 (どんさい) 。大槻玄沢に医学・蘭学を学び,大坂で医を開業し,オランダ医書の翻訳と語学を教授した。「エレキテル」を実験し,日本における電気学の先駆者となった。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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