●欧化主義【おうかしゅぎ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
欧化主義
おうかしゅぎ
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デジタル大辞泉
おうか‐しゅぎ〔オウクワ‐〕【欧化主義】
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世界大百科事典 第2版
おうかしゅぎ【欧化主義】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
欧化主義
おうかしゅぎ
明治政府による上からの近代化の基調となった西欧化政策一般をいうが、とくに明治10年代後半から20年代初めにかけて、条約改正の急速な実現のためにとられた外交政策と社会現象をさす。1879年(明治12)外務卿(きょう)(85年内閣制度成立後外務大臣)に就任した井上馨(かおる)は、まず法権の回復を図ろうとし、82年条約改正予議会、86年条約改正会議を各国との間に進めたが、その際伊藤博文(ひろぶみ)らとともに、83年の鹿鳴館(ろくめいかん)開館に象徴されるごとく、制度、文物、習俗を欧風化して、欧米諸国に日本の近代化を認めさせ、交渉の促進を図ろうとした。鹿鳴館での政府顕官と外国使臣との社交、官庁をはじめ洋館建築、服装、結髪、食事、礼法など風俗の洋風化、キリスト教の奨励や言語、詩歌、小説、演劇、美術などの改良運動、はては人種改良論まで唱道された。その多くは政策的に演出された外面的な欧化であり、上流社会を中心としたものであっただけに厳しい批判が起こった。徳富蘇峰(とくとみそほう)ら民友社グループは欧化主義の貴族的性格を批判して平民的欧化を主張し、志賀重昂(しがしげたか)、三宅雪嶺(みやけせつれい)、陸羯南(くがかつなん)ら国粋主義を標榜(ひょうぼう)する政教社グループは伝統文化や国民的精神の尊重を説いて皮相な欧化主義を批判した。また条約改正交渉は外人法官の任用規定など片務的で日本に不利なものだったので、自由民権家をはじめとして激しい反対運動が起こり、井上を辞職に追い込んだ。その後大隈重信(おおくましげのぶ)外相の改正交渉も89年失敗に終わり、これを機会に欧化主義の風潮も急速に衰えた。
[和田 守]
『井上馨侯伝記編纂会編『世外井上公伝 3』(1934・内外書籍/復刻版・1966・原書房)』▽『指原安三編『明治政史』(『改訂版 明治文化全集9・10 正史篇』所収・1956・日本評論社)』
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精選版 日本国語大辞典
おうか‐しゅぎ オウクヮ‥【欧化主義】
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