●正長の土一揆【ショウチョウノツチイッキ】
デジタル大辞泉
しょうちょう‐の‐つちいっき〔シヤウチヤウ‐〕【正長の土一揆】
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世界大百科事典 第2版
しょうちょうのつちいっき【正長の土一揆】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
正長の土一揆
しょうちょうのつちいっき
1428年(正長1)8月に近江(おうみ)(滋賀県)より始まり、京都、奈良さらに畿内(きない)近国へと広がった、徳政(とくせい)を求める土民(どみん)(百姓)の一揆。以後15世紀から16世紀にかけて各地で蜂起(ほうき)する大規模な徳政一揆の先駆けとなるもので、当時の支配層に大きな衝撃を与えた。のちに興福寺大乗院門跡尋尊(じんそん)は「日本開白(闢)(かいびゃく)以来、土民蜂起これ初めなり」と記している。このとき幕府の徳政令は発布されなかったが、28年から翌年にかけて各地でさまざまな徳政が実施された。京都の土一揆は東寺(とうじ)を拠点に市中の土倉(どそう)、酒屋に押し寄せ、借銭、質物を取り返す私(し)徳政を行い、奈良では興福寺に徳政令を出させることに成功している。また柳生(やぎゅう)の徳政碑文は、里別に徳政が行われたことを物語っている。この土一揆の規模は、伊賀、伊勢(いせ)、大和(やまと)、紀伊、和泉(いずみ)、河内(かわち)、丹波(たんば)、摂津、播磨(はりま)に及ぶもので、荘園(しょうえん)制支配のもとでの年貢収奪に加え、それに吸着して、深く浸透してくる高利貸資本の収奪に苦しんでいた広範な民衆を巻き込んで展開された。
[酒井紀美]
『鈴木良一著『純粋封建制成立における農民闘争』(『社会構成史体系 第2』所収・1949・日本評論社)』▽『村田修三著「惣と土一揆」(『岩波講座 日本歴史7』所収・1976・岩波書店)』
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旺文社日本史事典 三訂版
正長の土一揆
しょうちょうのつちいっき
1428(正長元)年,近江坂本の馬借の一揆に端を発し,山科・醍醐 (だいご) など京都近郊の土民が蜂起し,酒屋・土倉を襲い,幕府に徳政を要求し,幕府の拒否にもかかわらず,実力で債務破棄を断行した。一揆は畿内一帯に波及し,その規模の大きさと社会に対する影響は大きかった。
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