●武王【ブオウ】
デジタル大辞泉
ぶ‐おう〔‐ワウ〕【武王】
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世界大百科事典 第2版
ぶおう【武王 Wǔ wáng】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
武王
ぶおう
紀元前11世紀ごろの人。中国、周王朝の創始者。名は発。父は文王。父の志を継いで殷(いん)を討ち、河南省の牧野(ぼくや)の戦いで紂王(ちゅうおう)の大軍を破り、殷を滅ぼしたのち、陝西(せんせい)省西安付近に新都鎬京(こうけい)をつくり周王朝を建てた。武王は弟の周公旦(たん)や召公奭(せき)(実際は殷代以来の大族召氏の首長ともいう)、あるいは羌姓(きょうせい)族の首長呂尚(りょしょう)(太公望(たいこうぼう))の助けを得て国政を行い、また諸侯を封建した。とくに殷の故地には紂王の子の武庚禄父(ぶこうろくほ)を封じて殷の遺民を鎮撫(ちんぶ)し、さらに付近に弟の管叔(かんしゅく)、蔡叔(さいしゅく)らを配して、その監視にあたらせた。しかし、武王は在位3年にして死んだので、たちまち武庚や管、蔡らの大反乱が生じたという。武王は文王とともに聖王とされ、「詩」「書」や青銅器銘文にもその功業がたたえられており、その殷の討伐も放伐物語として正統化された。
[宇都木章]
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精選版 日本国語大辞典
ぶ‐おう ‥ワウ【武王】
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旺文社世界史事典 三訂版
武王
ぶおう
前11世紀ごろの周の建国者
姓は姫,名は発。父の文王をつぎ,牧野の戦いで殷の紂 (ちゆう) 王を滅ぼして鎬京 (こうけい) に都し,一族功臣を各地に封じて周の基礎を築いた。弟の周公旦,羌族の太公望呂尚の補佐を得,父とともに王者の範とされる
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
武王 ぶおう
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