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武田氏【たけだうじ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

武田氏
たけだうじ
清和源氏の一支族。甲斐国の守護,戦国大名。源義光が甲斐守に任じられてのち,その子義清が甲斐国巨摩郡武田村に土着してから嫡流は武田を称し,秋山,小笠原,南部などの支流を生じた。義清の孫信義のとき源頼朝に従い,信武のとき元弘の変および中先代 (なかせんだい) の乱で打撃を受けたが,のち足利氏に従って軍功をあげ,所領を拡大した。 16世紀,信虎のとき甲斐国内の諸豪族を圧倒して甲斐一国を支配する戦国大名となった。信虎の子晴信 (信玄) のとき甲斐,駿河の2国および信濃遠江,三河,上野,美濃,飛騨,越中の各国の一部を勢力圏に収めたが,その子勝頼のとき織田氏に敗れて天正 10 (1582) 年滅亡。なお信武の子氏信の子孫若狭および安芸国の守護となったが,16世紀に滅亡した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版

たけだうじ【武田氏】
本姓は清和源氏であり,新羅三郎義光の子義清が甲斐国巨摩郡武田荘へ荘官として赴任したところから武田姓を名のる(図)。義清の孫信義は治承・寿永の乱で,源頼朝方として戦功をたて,鎌倉幕府成立後には,甲斐の有力御家人となり,守護職に任ぜられた。一族の逸見,加賀美,安田氏も栄えたが,甲斐源氏の勢力を恐れた頼朝によって,武田信義の長男一条忠頼と弟の安田義定殺された。嫡系は忠頼の弟石和信光がつぎ,以後その子孫が一族を分出させながら守護職を世襲し,あわせて,甲斐国内の諸荘園の地頭職をも獲得していった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

武田氏
たけだうじ
清和源氏(せいわげんじ)。新羅三郎(しんらさぶろう)義光(よしみつ)の子義清(よしきよ)を祖とする武家。甲斐国(かいのくに)巨摩(こま)郡武田荘(たけだのしょう)の荘官となり武田姓を名のり、甲斐国守護から戦国大名となる。義清の孫信義(のぶよし)が治承(じしょう)・寿永(じゅえい)の内乱(源平の合戦)で源頼朝(みなもとのよりとも)方として戦功をたて、鎌倉幕府の成立後に有力御家人(ごけにん)となり、守護職(しゅごしき)に任ぜられた。しかし甲斐源氏の台頭を恐れた頼朝によって、信義の長男一条忠頼(いちじょうただより)と弟の安田義定(やすだよしさだ)らは謀殺された。嫡系は石和信光(いさわのぶみつ)が継ぎ、以後その子孫が一族を分出させながら守護職を世襲し、荘園の地頭職をも集積していった。信光は承久(じょうきゅう)の乱(1221)で活躍するが、その子信政(のぶまさ)以後の数代には目だった動きがみられず、鎌倉末期には弱体化していった。しかし信武(のぶたけ)が南北朝の内乱期に足利(あしかが)方として活躍し、甲斐国のみならず、安芸(あき)・若狭国(わかさのくに)守護職をも兼ねることになった。以後信満(のぶみつ)のときまで守護大名として君臨した。しかし1416年(応永23)の上杉禅秀(うえすぎぜんしゅう)の乱で信満は外戚(がいせき)として禅秀方に味方し、敗れて自害した。その後数代は守護不在国の状態が続き、国人(こくじん)が蟠踞(ばんきょ)して武田氏を脅かしたが、1438年(永享10)に守護信重(のぶしげ)は甲斐に帰ることができた。その孫信昌(のぶまさ)は勢力を挽回(ばんかい)したが、子の信縄(のぶつな)と対立。さらに国内においては、小山田(おやまだ)、大井、穴山(あなやま)、逸見(へんみ)などの強力な国人が割拠し、また一族内の反乱も起こり、加えて後北条(ごほうじょう)、今川氏などとの対抗が生じ戦国動乱へと発展する。信縄の子信虎(のぶとら)が1507年(永正4)に家督を継ぎ、1519年石和から甲府の躑躅ヶ崎(つつじがさき)に居館を移し、国内を統一、戦国大名としての基盤を築いた。その子晴信(はるのぶ)(信玄(しんげん))は周辺地を征服し信濃(しなの)・駿河(するが)と、上野(こうずけ)・飛騨(ひだ)・美濃(みの)・遠江(とおとうみ)・三河の一部にわたる領国を形成して、中部地方の大大名となったが、その子勝頼(かつより)は、1582年(天正10)に織田信長に攻められ、武田家は滅亡した。[柴辻俊六]
『奥野高広著『武田信玄』(1959・吉川弘文館) ▽磯貝正義著『武田信玄』(1970・新人物往来社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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旺文社日本史事典 三訂版

武田氏
たけだし
中世,甲斐国(山梨県)の戦国大名
清和源氏。新羅 (しんら) 三郎義光(源義家の弟)の子義清を祖とし,武田氏を称す。鎌倉時代に甲斐国の守護となる。南北朝時代,足利氏に属し所領を拡大し,室町時代には安芸 (あき) ・若狭の守護が一族から分出した。信玄のとき今川・上杉・後北条氏らに対抗,甲斐から信濃・駿河・遠江 (とおとうみ) ・上野 (こうずけ) まで勢力を広げ,東国屈指の戦国大名となったが,その子勝頼が織田・徳川氏に攻められ,1582年滅亡した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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