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段祺瑞【だんきずい】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

段祺瑞
だんきずい
Duan Qi-rui
[生]同治4(1865).3.6. 安徽,合肥
[没]1936.11.2. 上海
中国の軍閥。北洋軍閥の一人で安徽派領袖。清末,袁世凱の部下となり,中華民国成立後は陸軍総長に就任。 1915年袁の帝制運動に反対して下野し,16年袁の死後内閣を組織して北京政府の実権を握り,国内の武力統一策を推進。 17年日本の寺内正毅内閣の援段政策を機に日本との結びつきを強め,巨額の借款を獲得し (西原借款) ,日本の軍事的財政的援助により参戦軍3個師団を養成。 18年5月日中共同防敵軍事協定を締結するなど,自己の政権保持のため日本の政府,軍部に大きく依存するにいたった。第1次世界大戦後,直隷派の勢力が台頭するなかで学生や民衆の反段反日の風潮が強まり,20年の安直戦争で直隷派に敗れ,天津に一時引退した。 24年第2次奉直戦争後,奉天派 (張作霖) と国民軍 (馮玉祥) に推されて臨時執政に就任。 26年3月学生,民衆の請願団に発砲して多数の死傷者を出し (三・一八事件) ,同年奉国戦争により下野し,大連から天津,南京へと移り,上海で死去。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

だん‐きずい【段祺瑞】
[1865~1936]中国の軍人・政治家。北洋軍閥安徽(あんき)派首領。合肥(安徽省)の人。字(あざな)は芝泉(しせん)。袁世凱(えんせいがい)腹心として、辛亥(しんがい)革命後、陸軍総長。袁の死後、北京政府の実権を握り、南方革命派を弾圧した。トアン=チーロイ。

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トアン‐チーロイ【段祺瑞】

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

段祺瑞 だん-きずい
1865-1936 中国の軍人,政治家。
同治4年2月9日生まれ。北洋軍閥安徽(あんき)派の首領。袁世凱(えん-せいがい)のもとで中華民国陸軍総長となる。袁の死後,国務総理をつとめ,西原借款(しゃっかん)などの援助をうけ親日政策をとる。1920年安直戦争に敗れ,天津にうつる。1924年張作霖(ちょう-さくりん)と馮玉祥(ふう-ぎょくしょう)に擁立され,臨時執政となるが,1926年両派の対立辞職。1936年11月2日死去。72歳。安徽省出身。字(あざな)は芝泉。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

だんきずい【段祺瑞 Duàn Qí ruì】
1865‐1936
中国の軍人。安徽省合肥の人。祖父の代から淮(わい)軍の将の家の出である。字は芝泉,号は正道老人。北洋武備学堂の第1期生を首席で卒業してドイツに留学,帰国して袁世凱のもとで新軍創設につとめた。竜の王士珍,狗(いぬ)の馮国璋と並べて虎の段祺瑞と称された(北洋三傑)。中華民国の袁大総統のもとで陸軍総長を連任して実力をたくわえ,袁世凱の死後,3度国務総理となり,4年間にわたって北京の政権を掌握した。段政権は,二十一ヵ条要求以上にひどい日華共同防敵軍事協定などとひきかえの西原借款に代表される財政援助で維持されてきた親日政権だったから,第1次大戦の終了後,安直戦争に敗れて退場することになる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

段祺瑞
だんきずい / トワンチールイ
(1865―1936)

中国の軍閥政治家。安徽(あんき)省出身。清(しん)末から袁世凱(えんせいがい)の腹心として北洋新軍の創設に努めた。辛亥(しんがい)革命後は、袁のもとで中華民国陸軍総長、国務総理などに就任。袁の死後、安福派(安徽派)の軍閥官僚を率いて、馮玉祥(ふうぎょくしょう)を頭とする直隷(ちょくれい)派と対立し、北京(ペキン)政府の実権を握るため、軍閥戦争を繰り返した。1917年から1918年にかけて、日本の寺内正毅内閣の援段政策と結び、西原借款などの援助を受け、南方革命派の弾圧を図った。1924年北京で臨時執政に就任。1926年には魯迅(ろじん)が「民国以来もっとも暗黒な日」といった三・一八事件で学生運動を弾圧。1928年、北伐完了とともに勢力を失い、上海(シャンハイ)で没した。

[安藤彦太郎]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

だん‐きずい【段祺瑞】
中国の政治家。ドイツに留学、帰国後袁世凱の参謀として、その新軍創設を援助するなど北洋軍閥の重鎮として活躍したが、のちに袁の帝制に反対して下野。袁の死後、北京政界の実権をにぎったが、露骨な親日政策や民衆弾圧によって失脚、上海で客死した。(一八六五‐一九三六

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