@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

毛利輝元【もうり てるもと】

美術人名辞典

毛利輝元
安土・桃山時代の中国地方の大名。隆元の子で、元就の。幼名は幸鶴丸、法名を宗瑞。父の急死によって家督を相続。織田信長と対立したが、備中高松城羽柴秀吉講和を結び、本願寺の変後は秀吉に属す。文禄・慶長の役に大将として出動五大老の一人として重きをなした。関ヶ原の戦後、封されたが一族家臣の協和につとめ、毛利家存続のを築いた。寛永2年(1625)歿、73才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

もうり‐てるもと【毛利輝元】
[1553~1625]安土桃山時代武将元就(もとなり)の孫。織田信長に反抗し、豊臣秀吉の攻撃を受けたが、本能寺の変によって和睦。のち、秀吉に仕えて五大老の一人となったが、関ヶ原の戦い西軍に参加したため、所領を長門周防(すおう)2国に削られた。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

毛利輝元 もうり-てるもと
1553-1625 織豊-江戸時代前期の武将。
天文(てんぶん)22年1月22日生まれ。毛利隆元の長男。永禄(えいろく)6年(1563)家督をつぐ。織田信長の勢力に対抗,本能寺の変後は豊臣秀吉と講和した。中国9国に112万石を領し,豊臣政権の五大老のひとり。関ケ原の戦いで西軍の総大将格となり,戦後は周防(すおう),長門(ながと)の2国に減封された。寛永2年4月27日死去。73歳。法名は宗瑞。
【格言など】将軍家への御奉公をおこたらず,家名存続を第一に考えよ

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

防府市歴史用語集

毛利輝元
 毛利元就[もうりもとなり]の孫にあたります。中国地方ほぼ全域を領地とし、豊臣[とよとみ]家の五大老[ごたいろう]の1人となりますが、関ケ原[せきがはら]の戦いで西軍に属したため、周防[すおう]・長門[ながと]の2国に領地を減らされてしまいます。

出典:ほうふWeb歴史館
Copyright 2002,Hofu Virtual Site Museum,Japan
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

もうりてるもと【毛利輝元】
1553‐1625(天文22‐寛永2)
戦国~安土桃山時代の武将。隆元の嫡子。幼名幸鶴丸,少輔太郎,右衛門督,右馬頭。1563年(永禄6)父の死により家督を継ぎ,祖父元就の後見をうけ,その死後も叔父吉川(きつかわ)元春小早川隆景補佐により山陰・山陽10ヵ国に及ぶ領国を維持した。やがて京都を追われた足利義昭を迎え,石山本願寺に兵糧を援助するなど織田信長と対立し,77年(天正5)より羽柴(豊臣)秀吉の侵攻をうけ播磨,因幡に戦う。82年備中高松で講和し,以後秀吉に従い四国・九州両征伐に従軍

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

もうりてるもと【毛利輝元】
1553~1625 安土桃山・江戸初期の武将。元就の孫。剃髪後は宗瑞と号す。一五代将軍足利義昭を迎えて織田信長と対立したが、本能寺の変後、豊臣秀吉と和睦、五大老の一人となった。関ヶ原の戦いでは豊臣方主将。戦後長門・周防二か国に減封された。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

毛利輝元
もうりてるもと
[生]天文22(1553).安芸
[没]寛永2(1625).4.27. 長門
安土桃山~江戸時代初期の武将。隆元の子。幼名,幸鶴丸。通称,少輔太郎。号,宗瑞。元亀2 (1571) 年祖父元就の跡を継いで,山陽,山陰 10ヵ国と豊前,筑前2ヵ国の大守となり,天正5 (77) 年以来,織田信長の軍勢と中国路で対戦するにいたった。本能寺の変後,中国攻略の織田方の主将羽柴 (豊臣) 秀吉と和して,秀吉の支配下に入り,同 16年参議,慶長2 (97) 年従三位権中納言に叙し,豊臣家五大老の一人となった。関ヶ原の戦いには西軍の盟主となって戦ったが敗れ,剃髪した。吉川広家の努力によって除封を免れ,長門,周防2ヵ国 36万 9000石に削減され,に移った。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

毛利輝元
もうりてるもと
(1553―1625)
安土(あづち)桃山時代の武将。隆元(たかもと)の長男。幼名幸鶴丸(こうづるまる)。少輔(しょう)太郎(たろう)と称す。将軍足利義輝(あしかがよしてる)の一字を受けて輝元と名づけられた。豊臣(とよとみ)政権のもと羽柴(はしば)姓を唱え、参議権中納言(ごんちゅうなごん)に任じられた。叔父吉川元春(きっかわもとはる)と小早川隆景(こばやかわたかかげ)に援(たす)けられて広大な領国をよく維持し、1577年(天正5)以来織田氏の将羽柴(豊臣)秀吉の来攻に対して中国東部各地で戦い、82年6月備中(びっちゅう)(岡山県)高松城で秀吉と講和した。翌年安国寺恵瓊(あんこくじえけい)を使者にたてて秀吉と境界を折衝し、結局領国を保持することで豊臣政権に協力し、四国・九州征服に加わり、89年中国経営の本拠として広島築城に着手、91年郡山(こおりやま)の山城(やまじろ)を捨てて移った。同年秀吉から安芸(あき)、備後(びんご)、周防(すおう)、長門(ながと)、石見(いわみ)、出雲(いずも)、隠岐(おき)の全域と伯耆(ほうき)、備中の各一部合計112万石の朱印状を受け、ついで文禄(ぶんろく)の役にも出動、五大老の一人となる。関ヶ原の戦いのとき、大坂で秀頼(ひでより)傅育(ふいく)の任にあたったが、西軍総大将の責を問われ、薙髪(ちはつ)して宗瑞(そうずい)と称し、幼児秀就(ひでなり)が防長2国を授けられ、1604年(慶長9)萩(はぎ)に築城したが、事実上は輝元が政務をみていた。[福尾猛市郎]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

367日誕生日大事典

毛利輝元 (もうりてるもと)
生年月日:1553年1月22日
安土桃山時代;江戸時代前期の大名;五大老
1625年

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
(C) Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

もうり‐てるもと【毛利輝元】
安土桃山時代の武将。隆元の長男。祖父は元就。織田信長の中国攻略に抗戦。本能寺の変以後豊臣秀吉の下で戦功を重ね、五大老の一人となった。関ケ原の戦いでは西軍の総大将格であったため、所領を周防・長門二国に減らされた。天文二二~寛永二年(一五五三‐一六二五

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社日本史事典 三訂版

毛利輝元
もうりてるもと
1553〜1625
安土桃山時代・江戸初期の武将
元就 (もとなり) の孫。中国地方10カ国120万石を領有。織田信長に対抗して石山本願寺を助けたが,備中(岡山県)高松城攻めののち,豊臣秀吉と和睦。秀吉に臣従し,五大老の一人となった。関ケ原の戦いでは西軍の主将となり,敗れて周防 (すおう) ・長門2カ国37万石に減封された。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

毛利輝元」の用語解説はコトバンクが提供しています。

毛利輝元の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation