@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

永済渠【えいせいきょ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

永済渠
えいせいきょ
Yong-ji-qu; Yung-chi-ch`ü
中国,大運河の一部。大業4(608)年,沁水とホワン(黄)河を結び下流ウェイ(衛)河を通じて今日の天津方面に達する道を改修南方通済渠邗溝江南河および首都へ結ぶ広通渠と合わせて大運河となる。江南穀物や布および軍需物資を東北国境に運ぶのに重要な役割を果たし,隋の高句麗遠征を可能とした。のち近世にいたるまで河南河北を結ぶ大運河の一部として活用され,衛河,御河,南運河とも呼ばれる。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

えいさい‐きょ【永済渠】
中国、隋の煬帝(ようだい)が開削した運河。河南省武陟(ぶちょく)県付近で河から分流、沁河(しんが)を経て河に入り天津に達した。608年完成。えいせいきょ。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

えいせいきょ【永済渠】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

精選版 日本国語大辞典

えいさい‐きょ【永済渠】
中国、隋の煬帝(ようだい)の開いた大運河の一つ。河南省武陟(ぶちょく)県の近くで黄河から分かれ、沁河(しんが)を経由して衛河にはいり、天津で白河に合する。南北交通の幹線となった。六〇八年完成。えいせいきょ。

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社世界史事典 三訂版

永済渠
えいさいきょ
隋の煬帝 (ようだい) の開いた大運河の一部,黄河と涿 (たく) 郡(現在の北京)とを結ぶ
高句麗遠征の軍糧輸送をめざし,100万の男子を徴発して工事を進め,608年完成。通常の物資の輸送のほか,通済渠(黄河〜淮水)・邗溝 (かんこう) (淮水〜長江)・江南河(長江〜杭州)とともに華北と江南を結び,中国経済の発達に大きな役割を果たした。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

永済渠」の用語解説はコトバンクが提供しています。

永済渠の関連情報

関連キーワード

奈良・飛鳥の「国道」遺跡薗原ダム銘文入り刀剣類ゆるキャラグランプリ2012裴世清パラス遣隋使雫石[町]大運河

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation