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永田徳本【ながたとくほん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

永田徳本
ながたとくほん
[生]永正5(1508)?
[没]寛永7(1630)? 信濃
室町時代末期から江戸時代初期の医師徳本流の。知足斎と号す。出生地不明。諸国を周遊したが,甲斐にいることが多かったので,甲斐の徳本という。出羽の僧残夢を師とし,中国の医方を玉鼎に受けたと伝えられる。首に薬袋を吊り,ウシにまたがり「1服 18文」と呼んで回り,貧富を問わず病人を救ったといわれる。将軍徳川秀忠の病をなおし,18文のみを求めたという。徳本流の医書として『梅花無尽蔵』などがある。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

ながた‐とくほん【永田徳本】
[1513?~1630?]戦国時代から江戸初期の医者三河の人といわれる。号、知足斎。各地を流浪したが、比較的長く甲斐の武田信虎に仕えた。医之弁」など。長田徳本。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

永田徳本 ながた-とくほん
1513-1630 戦国-江戸時代前期の医師。
永正(えいしょう)10年生まれ。張仲景の古医方をおもんじた。経歴は伝説的で,薬袋を首にかけ「甲斐(かい)の徳本1服18文(一説に16文)」と諸国をうりあるき,2代将軍徳川秀忠(ひでただ)の病気をなおしたときも18文しかうけとらなかったという。寛永7年2月14日死去。118歳。は長田とも。号は知足斎(ちそくさい),乾室,茅庵(ぼうあん)。著作に「医之弁」「知足斎医鈔」など。

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ながたとくほん【永田徳本】
室町末期・江戸初期の医家。生年は不詳,没年は1630年(寛永7)118歳説と49年(慶安2)または52年(承応1)90余歳説があり,生国も諸説(三河,美濃,信濃,甲斐)があって定かでない。甲斐在住が最も長いとして甲斐の徳本と呼ばれた。知足斎と号し,また乾堂,茅堂ともいった。曲直瀬道三(まなせどうさん)について李朱医学を修めたとされるが,師説にとらわれず空理空論を排して経験的実証主義をつらぬき,張仲景の古医方を重視して作用の強い薬物を好んで使い古医方派の先駆者に位置づけられている。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

永田徳本
ながたとくほん

生没年不詳。戦国時代末期から江戸前期の医家。いわゆる隠医で、伝記、所説とも不確かな部分が多い。出生地は不明だが、永正(えいしょう)年間(1504~1521)に生まれ、寛永(かんえい)年間(1624~1644)に没し、117歳または118歳の長寿であったという。知足斎、乾堂と号す。長田徳本とも書く。戦火を逃れて諸国を巡遊し、その間、甲斐(かい)国(山梨県)にもっとも長く滞留したことから甲斐徳本(かいのとくほん)ともよばれた。初め、当時盛んな後世(ごせい)家医方を学んだが、これに飽き足らず独自の医説をたて、中国後漢(ごかん)の張仲景(ちょうちゅうけい)の医説によるべきことを主張した。疾病は鬱滞(うったい)に起因し、多くは風寒によって発病すると説き、いわゆる汗・吐・下・和の治療法を唱え、作用の激しい薬を用いて病気を攻撃することを主旨とした。張仲景の『傷寒論』のなかの方則はこのとき初めて日本で行われたといえる。独自の処世訓をもち、医家の風俗矯正に熱心であった。『医之弁(いのべん)』『知足斎医鈔(いしょう)』ほかの著作がある。

[大鳥蘭三郎]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ながた‐とくほん【永田徳本】
戦国末・江戸初期の医者。長田とも書く。号知足斎・乾堂。通称甲斐の徳本。三河国(愛知県)の人といわれる。本草学にすぐれ、武田氏の侍医。武田氏滅亡後は市井医となり治療にあたった。著「医之弁」など。生没年不詳。

出典:精選版 日本国語大辞典
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