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江戸三座【えどさんざ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

江戸三座
えどさんざ
江戸時代に,幕府より認された江戸の三大劇場中村座 (1624~1893) ,市村座 (1634~1932) ,森田座 (→守田座。 1660~1875) をいう。江戸時代初期には多くの劇場があったが,明暦3 (1657) 年の大火を機に山村中村市村森田の4座に整理され,さらに正徳4 (1714) 年に絵島生島事件によって山村座廃絶,以後幕末までこの3つの座に限定され,江戸歌舞伎は長くこれら劇場のうえに栄えた。これらの劇場が興行的に経営難となったとき,代って興行する控櫓の制度があった。

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デジタル大辞泉

えど‐さんざ【江戸三座】
幕府から興行特権を認められていた江戸の三大歌舞伎劇場。初め四座であったが、正徳4年(1714)山村座廃絶以後、中村市村森田の三座で、明治初年まで続いた。

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世界大百科事典 第2版

えどさんざ【江戸三座】
江戸で公許された中村座市村座,森田座(のち守田座)の三芝居。元禄期(1688‐1704)には山村座を含め四座存在したが,1714年(正徳4),江島生島事件によって山村座が廃絶,以降明治に至るまで三座に限って興行が公認された。中村座は堺町,市村座は葺屋町(ふきやちよう),森田座は木挽町(こびきちよう)において興行したが,天保改革によって,1841年(天保12)から42年にかけて浅草の聖天町へ集められた。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

えどさんざ【江戸三座】
江戸で公認された三つの歌舞伎劇場。中村座・市村座・森田座のこと。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

江戸三座
えどさんざ
江戸の歌舞伎(かぶき)劇場のうち、興行権の官許を得た三つの座、中村座、市村座、森田座のこと。中村座は1624年(寛永1)初世中村(猿若(さるわか))勘三郎が猿若座の名で中橋南地(なかはしなんち)(現在の中央区京橋)に開場したのが始まりである。1632年禰宜(ねぎ)町(日本橋堀留町)に移転、1651年(慶安4)から堺町(さかいちょう)(日本橋人形町)に移り、代々の勘三郎が座元を務めた。市村座は1634年村山又三郎(またさぶろう)が堺町(のちに葺屋(ふきや)町)に創設した村山座が前身で、その後市村家に座元が譲られ、代々の市村羽左衛門(うざえもん)が経営にあたった。森田座は1660年(万治3)森田太郎兵衛が木挽町(こびきちょう)(東銀座)に開場、翌年(寛文1)から森田勘弥(かんや)に座元を譲り、以後代々の勘弥が興行を続けた。
 初期には、ほかに都(みやこ)座、山村座、玉川座、桐(きり)座、河原崎(かわらさき)座などが興亡のすえ、承応(じょうおう)・明暦(めいれき)(1652~58)のころには中村、市村、森田、山村の四座だけが興行権を与えられ「大芝居(おおしばい)」と称した。その後1714年(正徳4)山村座の俳優生島新五郎(いくしましんごろう)と奥女中絵島(えじま)の事件により同座が廃絶を命ぜられて以後は、中村、市村、森田の三座のみが官許の劇場になり、「江戸三座」とよばれるようになった。なお、三座に支障のあるときは、かわりの劇場が興行権を代行する「控櫓(ひかえやぐら)」の制度が認められ、中村座には都座、市村座には桐座、森田座には河原崎座がそれぞれ控櫓と定められた。
 1841年(天保12)中村、市村両座の火災を機に、水野忠邦(ただくに)の緊縮政策により、翌年から翌々年にかけ三座は浅草猿若町に移転した。明治になると三座の制度は廃止された。中村座は1875年(明治8)から中村家を離れ座名もしばしば変わり、84年には浅草新鳥越(しんとりごえ)に移り、92年から鳥越座と称したが、翌年1月類焼して絶えた。市村座も市村家の手から離れ、1892年には下谷二長町(したやにちょうまち)に移り、1908年(明治41)から田村成義(なりよし)の経営による若手歌舞伎で人気をよんだが、大正後期以後は衰え、1932年(昭和7)5月に焼失した。森田座は1856年(安政3)守田座と改名した。明治になると12世守田勘弥が都心進出を企て1872年新富町(しんとみちょう)に移し、75年には新富座と改称、翌年類焼したのを機に近代的機構を加えた大劇場として77年4月に再開。9世市川団十郎、5世尾上(おのえ)菊五郎らの名優を擁し、明治歌舞伎の最盛期を生んだが、1909年(明治42)には松竹合名社の手に移り、23年(大正12)の関東大震災で焼失、以後再建されなかった。[松井俊諭]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

えど‐さんざ【江戸三座】
江戸で公認された、三大歌舞伎劇場。元祿年間(一六八八‐一七〇四)には、中村・市村・森田・山村の四座が興行権を与えられていたが、正徳四年(一七一四)の江島生島事件で山村座は廃絶、以後三座で明治初年(一八六八)まで続く。江戸三芝居。
※黄表紙・見徳一炊夢(1781)中「金にあかして、江戸三座の役者をぬきぬき、大ぜいよびよせ」

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

江戸三座
えどさんざ
江戸時代,江戸の歌舞伎劇場
中村座(初め猿若座)・市村座(初め村山座)・森田座の3座をいう。幕府は歌舞伎取締りのため,1714年以後明治に至るまで,興行権をこの3座のみに制限した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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