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沈義謙【ちんぎけん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

沈義謙
ちんぎけん
Sim Ǔigyǒm
[生]中宗30(1535)
[没]宣祖20(1587)
朝鮮,朝鮮王朝 (李朝) の政治家。慶尚北道青松郡出身。字は方叔。号は巽菴 (そんあん) 。明宗王妃仁順王后の弟。明宗 17 (1562) 年に文科に及第し,朝廷の要職を歴任した。宣祖8 (75) 年に新進士林の金孝元と対立し,東西の党に分裂して党争端緒をつくるとともに,朝鮮王朝の朋党政治を始めることにもなった。沈義謙の一党は勲旧派で西人と呼ばれ,金孝元の一党は東人と呼ばれた。その後,李栗谷調停にもかかわらず両党の政権争奪は熾烈に繰返された。しかし同 17年をにして東人の天下となり,沈義謙は罷免された。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版

しんぎけん【沈義謙 Sim Ǔi‐gyŏm】
1535‐87
朝鮮,李朝の文臣。字は方叔。号は巽菴,艮菴,黄斎。慶尚道青松の人。明宗妃の弟。文科に及第後,正言,持平,司諫などの要職を歴任し大司憲に至る。士林を擁護し彼に従う者が多かったが,彼が外戚であったことから誤解も受けた。宣祖のとき,詮郎職をめぐり新進士林の中心人物金孝元と反目し,西人派の中心人物として東人派との党争を惹起した。のち,李珥(栗谷)が2人を地方官として転出させ調停を図ったが失敗し,李珥の死後,東人派が政権をとると官職を奪われた。

出典:株式会社平凡社
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