●沢庵【たくあん】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
沢庵
たくあん
[没]正保2(1645).江戸
江戸時代初期の臨済宗の僧。諱 (いみな) は宗彭 (そうほう) 。出家後大徳寺の一凍紹滴 (いっとうしょうてき) に侍し,慶長 12 (1607) 年 35歳で大徳寺の第一座に推された。のち郷里の宗鏡寺 (ずぎょうじ) に退いた。元和4 (18) 年江戸幕府は大徳寺,妙心寺に寺院法度を適用して,正隠が大徳寺の住職となると,勅賜の紫衣を剥奪しようとした。沢庵はこれに激しく抗議したために,出羽国上山 (かみのやま) に流された (→紫衣事件 ) 。寛永9 (32) 年赦免となり帰京,将軍徳川家光の帰依を得て,法を説いたり,宮中で講じたりした。同 15年,幕府は,江戸品川に東海寺を建てて,沢庵を開山とした。著に『不動智神妙録』『沢庵法語』『明暗双々集』などがある。
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世界大百科事典 第2版
たくあん【沢庵】
江戸前期の臨済宗の僧。沢庵は道号,諱(いみな)は宗彭(そうほう)。但馬国(兵庫県)出石(いずし)の生れ。14歳のとき郷里出石の禅刹宗鏡(すきよう)寺に入って希先西堂(さいどう),ついで大徳寺派の重鎮だった董甫宗仲(とうほそうちゆう)に師事した。この宗仲との結びつきが,権勢に密着した五山禅ではなく,反骨と在野の禅,それに只管弁道(しかんべんどう)を伝統とする大徳寺派の禅僧として,沢庵がその生涯を送る機縁となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
沢庵
たくあん
(1573―1645)
江戸初期の臨済(りんざい)宗の僧。諱(いみな)は宗彭(そうほう)。父は但馬(たじま)(兵庫県)出石(いずし)城主山名宗詮(やまなそうせん)(祐豊(すけとよ)。1511―1580)の家臣の秋庭綱典(あきばつなのり)。10歳で出石の浄土宗唱念(しょうねん)寺に入り、その後、東福寺派宗鏡(すきょう)寺塔頭(たっちゅう)勝福寺の希先(きせん)(?―1591)、大徳寺派の董甫宗仲(くんぽそうちゅう)(1549―1601)、春屋宗園(しゅんおくそうえん)(1529―1611)、大安寺文西(だいあんじもんさい)に従い修行を重ね、春屋の法弟一凍紹滴(いっとうしょうてき)(1539―1612)の印可を受け、37歳で大徳寺153世の住持となった。その後、諸氏の招きを辞退しつつ聖胎長養(しょうたいちょうよう)(悟後の修行)に努め、また戦禍に焼けた南宗(なんしゅう)寺や荒廃した宗鏡寺を再興。1629年(寛永6)大徳寺の強行派を率い幕府の宗教行政に抵抗し流罪となる(紫衣(しえ)事件)。のち将軍徳川家光の帰依(きえ)を受け品川に東海寺を創建。彼が禅僧として必須(ひっす)の後継者育成を断念したことに紫衣事件の影響がうかがえる。柳生(やぎゅう)但馬守(かみ)に書き与えた『不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)』は剣禅一如(けんぜんいちにょ)の思想を示すものとして著名。
また沢庵の名は沢庵漬けとしても知られているが、彼の郷里で千本漬け、百本漬け、貯(たくわ)え漬けといわれたものを家光に供し、家光によって名づけられたとも伝える。
[船岡 誠 2017年9月19日]
『沢庵和尚全集刊行会編『沢庵和尚全集』全6巻(1928・巧芸社/複製・2001・日本図書センター)』▽『永田豊州著『沢庵』(『講座禅 第4巻』所収・1967/新装版・1974・筑摩書房)』▽『牛込覚心編著『沢庵和尚 心にしみる88話』(2003・国書刊行会)』
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たくあん【沢庵】
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たくわん【沢庵】
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旺文社日本史事典 三訂版
沢庵
たくあん
江戸初期の臨済宗の僧
但馬(兵庫県)出石 (いずし) の武士秋庭綱典の子。沢庵は号。幼くして出家し,のち大徳寺住持となった。後水尾天皇の紫衣勅許をめぐり幕府と対立。出羽(山形県)上山 (かみのやま) に配流されたがのちに許され,3代将軍徳川家光に重用された。江戸品川に東海寺を創建。
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デジタル大辞泉
たく‐あん【沢×庵】
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