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河原崎座【かわらさきざ】

世界大百科事典 第2版

かわらさきざ【河原崎座】
江戸の歌舞伎劇場能太夫であった初世河原崎権之創設になる。興行をおこした時期は,1648年(慶安1)とも,56年(明暦2)ともいわれる。68年(寛文8)ころ,2世権之助に座元が譲られ,のち森田座(のちの守田座)と相座元になったというが,その後1735年(享保20)森田座の控櫓(ひかえやぐら)として開場するまでの経過は,ほとんど明らかでない。森田座の控として幕末まで約60年間興行する。櫓を上げた期間は,1735‐44年(享保20‐延享1),1790‐97年(寛2‐9),1800‐08年(寛政12‐文化5),1815‐17年(文化12‐14),1819‐22年(文政2‐5),1823‐33年(文政6‐天保4),1837‐55年(天保8‐安政2)。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

河原崎座
かわらさきざ
江戸中期から明治初期まで東京にあった歌舞伎(かぶき)劇場。初世河原崎権之助(?―1690)が、1656年(明暦2)木挽町(こびきちょう)に櫓(やぐら)をあげたのが始まりといわれ、2世権之助のとき森田座と合併、従兄弟(いとこ)の2世森田勘弥(かんや)と相座元で興行したという。1735年(享保20)以後は幕末まで、森田座の控櫓(ひかえやぐら)として同座休場の際に興行を行い、代々の権之助が座元を勤めた。この間、1843年(天保14)には浅草猿若町に移転している。73年(明治6)2月、7世権之助(9世市川団十郎)が芝新堀町一番地に河原崎座として新設、義弟の8世権之助名義で同年7月から開場したが、経営不振で75年9月から新堀座と改称。その後河原崎座に復名したが続かず、77年4月に休座、興行権と劇場を羽賀周平に譲り、以後は宝来(ほうらい)座の名で興行したため、河原崎座の伝統は絶えた。[松井俊諭]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

かわらさき‐ざ かはらさき‥【河原崎座】
歌舞伎劇場。明暦二年(一六五六)頃、初代河原崎権之助が江戸木挽町(東京都中央区銀座)に開場したが、その後、森田座と合併。享保二〇年(一七三五)以後は、森田座の控櫓(ひかえやぐら)として、森田座が興行不能の時のみ興行。明治七年(一八七四)、芝新堀町に新設されたが、間もなく新堀座と改称。同一〇年休座。

出典:精選版 日本国語大辞典
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