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河竹黙阿弥【かわたけ もくあみ】

美術人名辞典

河竹黙阿弥
江戸狂言作者。通称吉村新七。五世鶴屋南北の天保の末河竹新七の名を襲い立作者となり、晩年古河黙阿弥と称する。明治26年(1893)歿、78才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

かわたけ‐もくあみ〔かはたけ‐〕【河竹黙阿弥】
[1816~1893]幕末・明治初期の歌舞伎脚本作者。江戸の人。本姓、吉村。幼名、新七。俳号、其水(きすい)。5世鶴屋南北に入門、勝諺蔵(かつげんぞう)を名のり、のち2世河竹新七を襲名。晩年は古河黙阿弥と称した。江戸歌舞伎大成、近代の劇への橋渡しをした人で、世話物を得意とし、散切(ざんぎり)物活歴物も試みた。作「蔦紅葉宇都谷峠(つたもみじうつのやとうげ)」「三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)」「天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)」など。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

河竹黙阿弥 かわたけ-もくあみ
1816-1893 幕末-明治時代の歌舞伎作者。
文化13年2月3日生まれ。5代鶴屋南北に入門。天保(てんぽう)14年2代河竹新七を襲名後,4代市川小団次のために生世話(きぜわ)物をかく。維新後は9代市川団十郎のために活歴(かつれき)物,5代尾上菊五郎のために散切(ざんぎり)物などの作品を提供。明治14年引退して黙阿弥を名のる。時代物,世話物,所作事と幅ひろかったが,本領は生世話物にあった。明治26年1月22日死去。78歳。江戸出身。本名は吉村新七。幼名は芳三郎。俳名は其水。別名は古河黙阿弥。作品に「蔦紅葉宇都谷峠(つたもみじうつのやとうげ)」「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」など。
格言など】地獄の沙汰も,金次第だ

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

江戸・東京人物辞典

河竹黙阿弥
1816〜1893(文化13年〜明治26年)【歌舞伎作者】江戸歌舞伎を代表する、日本のシェークスピア。 幕末から明治期を代表する歌舞伎作者。江戸出身。河竹新七とも。5世鶴屋南北に師事生世話物・白浪物の名作を次々に生み出し、後期江戸歌舞伎の集大成に貢献。明治になると、新時代の風潮を表す散切物・活歴物を執筆。「最後の狂言作者」「江戸歌舞伎の大問屋」と呼ばれ、手掛けた作品は、360編を超える。

出典:財団法人まちみらい千代田
監修:江戸東京博物館 都市歴史研究室長 北原 進
(C) 財団法人まちみらい千代田
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世界大百科事典 第2版

かわたけもくあみ【河竹黙阿弥】
1816‐93(文化13‐明治26)
歌舞伎作者。本名吉村芳三郎,俳号其水(きすい),現役名2世河竹新七,別号古河黙阿弥。江戸日本橋に湯屋の株の売買業越前屋勘兵衛の長男として生まれた。14歳のとき柳橋で遊興中を見つかって勘当され,貸本屋の手代となって乱読多読,芝居界にも縁を生じた。通人粋客と交わって狂歌,雑俳,三題噺,絵合せ,茶番などに才を発揮,芳々(よしよし)と号して点者もつとめた。後年の作の趣向や世相人心の機微の把握と描写音感に富むせりふの味などは,この遊蕩時代のたまものである。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

河竹黙阿弥
かわたけもくあみ
[生]文化13(1816).2.3. 江戸
[没]1893.1.22. 東京
歌舞伎狂言作者。本姓吉村,幼名芳三郎。5世鶴屋南北に入門。2世河竹新七を襲名し,幕末にはおもに4世市川小団次に世話物を,明治には9世市川団十郎,5世尾上菊五郎,1世市川左団次らに世話物,時代物のほか活歴物,散切物,松羽目物などの新傾向の作品を書いた。 1881年黙阿弥と改名後も執筆を続け,その作品は『三人吉三廓初買 (さんにんきちさくるわのはつがい) 』 (1860) ,『青砥稿花紅彩画 (あおとぞうしはなのにしきえ) 』 (通称『白浪五人男』) (62) ,『勧善懲悪覗機関 (かんぜんちょうあくのぞきからくり) 』 (通称『村井長庵』) (62) ,『梅雨小袖昔八丈』 (通称『髪結新三』) (73) ,『天衣紛上野初花 (くもにまごううえののはつはな) 』 (81) ,『島鵆 (しまちどり) 月白浪』 (81) ,『高時』 (84) など約 360編に及ぶ。本領は幕末市井を描写した生世話,特に白浪物で,江戸演劇の集大成者とされる。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

河竹黙阿弥
かわたけもくあみ
(1816―1893)

歌舞伎(かぶき)作者。本名吉村芳三郎。俳号其水(きすい)。江戸・日本橋の商家4世越前屋(えちぜんや)勘兵衛の長男に生まれる。14歳のとき柳橋で遊興中を発見され勘当される。下町の通人仲間と交わり茶番集を書いたり、貸本屋の手代となって諸書を乱読したのち、1835年(天保6)に5世鶴屋南北(つるやなんぼく)に入門して狂言作者となり勝諺蔵(かつげんぞう)を名のる。病気と家庭の事情で再三引退したのち、1841年に4世中村重助(じゅうすけ)の招きで再勤して二枚目格となって柴晋輔(斯波晋輔)(しばしんすけ)と名のり、1843年に2世河竹新七を襲名して立(たて)作者格となる。旧作の補綴(ほてい)や小説の脚色、一幕物の世話物などで活躍したのち、1854年(安政1)の『都鳥廓白浪(みやこどりながれのしらなみ)』で4世市川小団次に認められ、以後1866年(慶応2)に小団次が没するまで、彼のために講釈種(だね)の白浪物(しらなみもの)など生世話(きぜわ)狂言の傑作を次々と書いて不動の地位を築く。その間、安政(あんせい)の大地震以後は市村座の立作者として重年し、3世桜田治助(じすけ)、3世瀬川如皐(じょこう)と三座体制を維持する一方で、中村・森田両座の重要な新作をも引き受け八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍をした。

 明治になってからも筆力は衰えず、小団次の遺児初世市川左団次をもり立てるとともに、新政府の方針をくむ若き興行師12世守田勘弥(もりたかんや)を助け、9世市川団十郎のためには史実に基づく「活歴劇(かつれきげき)」を、5世尾上菊五郎(おのえきくごろう)のためには明治の新風俗を写した「散切物(ざんぎりもの)」を書いて新境地を開拓した。1881年(明治14)に『島鵆月白浪(しまちどりつきのしらなみ)』を一世一代に引退して古河黙阿弥(ふるかわもくあみ)を名のるが、作者無人の劇界が黙阿弥の引退を許すはずがなく、死の直前まで新作を提供し続け、明治26年1月22日に78歳の生涯を終えた。門弟に3世新七、竹柴其水(たけしばきすい)、勝能進(かつのうしん)などがいる。

 黙阿弥の作品は時代物、世話物、所作事あわせて約360にも及び、いずれにも力量を発揮したが、その真骨頂は講釈などに取材した生世話物にあった。代表的なものとして、小団次のために書いた『蔦紅葉宇都谷峠(つたもみじうつのやとうげ)』『鼠小紋東君新形(ねずみこもんはるのしんがた)』『網模様灯籠菊桐(あみもようとうろのきくきり)』『黒手組曲輪達引(くろてぐみくるわのたてひき)』『小袖曽我薊色縫(こそでそがあざみのいろぬい)』『三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)』『八幡祭小望月賑(はちまんまつりよみやのにぎわい)』『勧善懲悪覗機関(かんぜんちょうあくのぞきからくり)』『曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)』『船打込橋間白浪(ふねへうちこむはしまのしらなみ)』のほか、5世菊五郎には『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)』『新皿屋敷月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)』『水天宮利生深川(すいてんぐうめぐみのふかがわ)』『四千両小判梅葉(しせんりょうこばんのうめのは)』『盲長屋梅加賀鳶(めくらながやうめがかがとび)』、9世団十郎・5世菊五郎には『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』、3世沢村田之助には『処女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)』(切られお富)などを書いた。なお、舞踊劇には『土蜘(つちぐも)』『茨木(いばらき)』『船弁慶』『紅葉狩(もみじがり)』などの代表作がある。

 坪内逍遙(しょうよう)はこのような黙阿弥の業績全般を評して「真に江戸演劇の大問屋なり」と称賛している。その作風は、化政(かせい)期(1804~30)の4世鶴屋南北が完成した生世話をさらに洗練、古典化し、時代物の世界から完全に独立した講談、実録調の筋立てのなかに、勧善懲悪、因果応報の理が強調されている。ことに小団次と提携した白浪物の諸作には幕末の逼塞(ひっそく)した世相が反映されている。そして逃げ道のない袋小路に入ってしまった小悪党の心情をうたった、七五調の「厄払(やくはらい)」とよばれる感傷的で音楽的な台詞(せりふ)は近代人にも共感され、今日でも歌舞伎のもっとも上演頻度の高いレパートリーとなっている。

[古井戸秀夫]

『『黙阿弥全集』全20巻(1924~26・春陽堂)』『河竹登志夫解説『名作歌舞伎全集10~12 河竹黙阿弥集 1~3』(1968~70・東京創元社)』『河竹繁俊著『河竹黙阿弥』(1961・吉川弘文館)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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旺文社日本史事典 三訂版

河竹黙阿弥
かわたけもくあみ
1816〜93
幕末・明治前期の歌舞伎脚本作者
本名吉村新七。江戸の生まれ。世話物・白浪物に特にすぐれたが,そのほか時代物・散切 (ざんぎり) 物・活歴物など,作品は360編にも及ぶ。代表作に『三人吉三廓初買 (さんにんきちさくるわのはつがい) 』『天衣紛 (くもにまごう) 上野初花』など。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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