●法然【ほうねん】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
法然
ほうねん
[没]建暦2(1212).1.25. 京都
浄土宗の開祖。諱は源空で,法然房と号した。幼名は勢至丸。9歳で父を失い,叔父の観覚に従って剃髪。 15歳で比叡山に登り源光,皇円に師事。 18歳黒谷の叡空に学び,24歳京都,奈良で各宗の奥義を研究,のち黒谷に帰って大蔵経を閲読。承安5 (1175) 年3月善導著『観無量寿経疏』の「散善義」を読んで浄土教に帰し洛東吉水に庵居して念仏を称えた。文治2 (86) 年勝林院で浄土の法義を談論 (→大原問答 ) 。建永2 (1207) 年諸宗の嫉視により土佐に配流。のち許されて建暦1 (11) 年吉水の禅房に帰り,翌年没す。
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉
ほうねん【法然】[人名]
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
ほう‐ねん〔ホフ‐〕【法然】
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル版 日本人名大辞典+Plus
法然 ほうねん
長承2年4月7日生まれ。比叡(ひえい)山で源光,皇円,叡空に師事し,黒谷で法然房源空と称した。源信や唐(中国)の善導の思想的影響によって,安元元年専修(せんじゆ)念仏の教えを確立し,比叡山をくだり東山大谷で浄土宗をひらく。帰依(きえ)者がふえると,既成仏教教団の反感をまねき,念仏は禁止され,承元(じょうげん)元年四国へ流されたが,のちゆるされて京都にかえった。建暦(けんりゃく)2年1月25日死去。80歳。美作(みまさか)(岡山県)出身。諡号(しごう)は円光大師。通称は黒谷上人。著作に「選択(せんちやく)本願念仏集」など。
【格言など】一丈の堀を越えんと思わん人は,一丈五尺を越えんと励むべし(「勅修御伝」)
出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。
とっさの日本語便利帳
法然
仏教者(一一三三~一二一二)。
出典:(株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」
世界大百科事典 第2版
ほうねん【法然】
平安末・鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖。諱(いみな)は源空,法然は房号。美作(みまさか)国久米南条稲岡荘(現,岡山県久米郡久米南町)に,久米の押領使漆間(うるま)時国の子として生まれた。母は秦氏。9歳のとき,稲岡荘の預所明石定明の夜襲を受けて父を失い,菩提寺(岡山県勝田郡奈義町)にいた叔父観覚にひきとられた。1145年(久安1)(一説に1147年)比叡山に登り,はじめ西塔北谷の持宝房源光につき,2年後東塔西谷の功徳院皇円に師事,47年戒壇院で受戒し,出家の本意をとげた。
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
367日誕生日大事典
法然 (ほうねん)
平安時代後期;鎌倉時代前期の浄土宗の開祖
1212年没
出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
(C) Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
精選版 日本国語大辞典
ほう‐ねん ホフ‥【法然】
出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
旺文社日本史事典 三訂版
法然
ほうねん
平安末期〜鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖
諱 (いみな) を源空という。美作 (みまさか) (岡山県)の人。初め叡山で天台教学を学んだが,末法の世の救いは念仏以外にないことを悟り,1175年専修念仏を説いて浄土宗を開いた。この他力易行の教えは武士・農民間に受け入れられ九条兼実など貴族にも帰依する者があったが,旧仏教側の弾圧が激しく,1207年土佐に流された。のち許され京都に帰り'12年没した。主著に『選択 (せんじやく) 本願念仏集』。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
日本大百科全書(ニッポニカ)
「法然」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●法然の関連情報
関連キーワード
| 佐藤一斎| 藤原信頼| ヘンリー| 日活ロマンポルノ| 田辺| 怡子内親王| 小熊伊成| 覚善|