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法然【ほうねん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

法然
ほうねん
[生]長承2(1133).4.7. 美作
[没]建暦2(1212).1.25. 京都
浄土宗開祖源空で,法然房と号した。幼名は勢至丸。9歳で父を失い,叔父の観覚に従って剃髪。 15歳で比叡山登り源光,皇円師事。 18歳黒谷叡空に学び,24歳京都,奈良で各宗の奥義を研究,のち黒谷に帰って大蔵経閲読。承安5 (1175) 年3月善導著『観無量寿経疏』の「散善義」を読んで浄土教に帰し洛東吉水に庵居して念仏を称えた。文治2 (86) 年勝林院で浄土の法義を談論 (→大原問答 ) 。建永2 (1207) 年諸宗の嫉視により土佐に配流。のち許されて建暦1 (11) 年吉水の禅房に帰り,翌年す。

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デジタル大辞泉

ほうねん【法然】[人名]
[1133~1212]平安末期の浄土宗美作(みまさか)の人。諱(いみな)は源空。比叡山黒谷天台および諸宗を学び、安元元年(1175)称名念仏に専念する立場を確立し浄土宗を開いた。洛東吉水(よしみず)に草庵を結んで布教し、信者の増加に伴って迫害され、一時讃岐(さぬき)に流されたが、後に許されて京に戻り、東山で入寂。勅諡号(ちょくしごう)は円光大師。著「選択本願念仏集」など。黒谷上人吉水上人。→御忌(ぎょき)2

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
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ほう‐ねん〔ホフ‐〕【法然】
法爾(ほうに)」に同じ。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

法然 ほうねん
1133-1212 平安後期-鎌倉時代の僧。
長承2年4月7日生まれ。比叡(ひえい)山で源光,皇円,叡空に師事し,黒谷で法然房源空と称した。源信や唐(中国)の善導の思想的影響によって,安元元年専修(せんじゆ)念仏の教えを確立し,比叡山をくだり東山大谷で浄土宗をひらく。帰依(きえ)者がふえると,既成仏教教団の反感をまねき,念仏は禁止され,承元(じょうげん)元年四国へ流されたが,のちゆるされて京都にかえった。建暦(けんりゃく)2年1月25日死去。80歳。美作(みまさか)(岡山県)出身。諡号(しごう)は円光大師。通称は黒谷上人。著作に「選択(せんちやく)本願念仏集」など。
格言など】一丈の堀を越えんと思わん人は,一丈五尺を越えんと励むべし(「勅修御伝」)

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

とっさの日本語便利帳

法然
我もと居せし所なれば、さだめて極楽へ帰り行べし。\法然
仏教者(一一三三~一二一二)。

出典:(株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」

世界大百科事典 第2版

ほうねん【法然】
1133‐1212(長承2‐建暦2)
平安末・鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖。諱(いみな)は源空,法然は房号。美作(みまさか)国久米南条稲岡荘(現,岡山県久米郡久米南町)に,久米の押領使漆間(うるま)時国の子として生まれた。母は秦氏。9歳のとき,稲岡荘の預所明石定明の夜襲を受けて父を失い,菩提寺(岡山県勝田郡奈義町)にいた叔父観覚にひきとられた。1145年(久安1)(一説に1147年)比叡山に登り,はじめ西塔北谷の持宝房源光につき,2年後東塔西谷の功徳院皇円に師事,47年戒壇院で受戒し,出家の本意をとげた。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ほうねん【法然】
法爾ほうにに同じ。

出典:三省堂
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ほうねん【法然】
1133~1212 浄土宗の開祖。諱いみなは源空。諡おくりなは円光大師・明照大師。黒谷上人・吉水よしみず上人とも称される。美作みまさかの人。比叡山で源光・皇円、次いで黒谷別所の叡空に師事。のち善導の「観無量寿経疏」や源信の「往生要集」に啓発され、1175年専修念仏の教えを唱えて浄土宗を開いた。京都東山の吉水に庵を結んで布教に努め、主に武士・農民の帰依を得た。旧仏教からの激しい圧迫を受け、1207年専修念仏は停止され四国に流されたが、のち許されて帰洛。著「選択本願念仏集」など。

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367日誕生日大事典

法然 (ほうねん)
生年月日:1133年4月7日
平安時代後期;鎌倉時代前期の浄土宗の開祖
1212年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

ほう‐ねん ホフ‥【法然】
[1] 〘名〙 仏語。法として当然そうであること。法爾。自然。必然。
※性霊集‐八(1079)大夫笠左衛佐為亡室造大日楨像願文「字写法然之文、義明无尽之旨
※真如観(鎌倉初)「大日・釈迦等の妙覚究竟の如来、本より法然(ホウネン)として、具足し玉へり」 〔観経疏‐序分義〕
[2] 平安末期から鎌倉初期の僧。美作国(岡山県)生まれ。浄土宗の開祖。諱号は源空。法然は房号。勅諡は円光大師、明照大師など。法然上人、黒谷上人、吉水上人などと尊称する。承安五年(一一七五)唐の善導の「散善義」を読んで開眼、念仏の人となった。文治二年(一一八六)大原問答によってその名声を高め、建久九年(一一九八)には「選択本願念仏集」を著わして事実上の立宗宣言を行なう。建暦二年(一二一二)「一枚起請文」を書き、まもなく没した。その遺文を集めたものに「黒谷上人語燈録」一八巻がある。長承二~建暦二年(一一三三‐一二一二

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旺文社日本史事典 三訂版

法然
ほうねん
1133〜1212
平安末期〜鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖
諱 (いみな) を源空という。美作 (みまさか) (岡山県)の人。初め叡山で天台教学を学んだが,末法の世の救いは念仏以外にないことを悟り,1175年専修念仏を説いて浄土宗を開いた。この他力易行の教えは武士農民間に受け入れられ九条兼実など貴族にも帰依する者があったが,旧仏教側の弾圧が激しく,1207年土佐に流された。のち許され京都に帰り'12年没した。主著に『選択 (せんじやく) 本願念仏集』。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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日本大百科全書(ニッポニカ)

法然
ほうねん

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