●洋学【ようがく】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
洋学
ようがく
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デジタル大辞泉
よう‐がく〔ヤウ‐〕【洋学】
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世界大百科事典 第2版
ようがく【洋学】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
洋学
ようがく
江戸時代後期を中心にして、西洋事情・西洋科学に関して行われた研究およびその知識の総称。西洋の学術・文化・技術の日本への伝来は、16世紀中ごろ、キリスト教の布教とともにポルトガル人、スペイン人によって始まったが、これは南蛮学、蛮学などとよばれた。やがて江戸幕府が鎖国政策をとったことにより、西洋の学術・文化は、日本への渡来を許された唯一の西洋の国オランダが長崎出島(でじま)に建てたオランダ商館を通じて、オランダ語を介して移入されることになり、これは蘭学(らんがく)とよばれた。鎖国政策が緩み、開国政策がとられた幕末期になると、オランダ人以外の諸外国人も渡来するようになり、イギリス・フランスなどの学術・文化が、それぞれの国の言語とともに渡来した。洋学ということばはこの時期以降に一般化した。洋学は自然科学・社会科学・人文科学の広い分野で西洋の知識・学問を移入するのに力を発揮したが、ことに英学が蘭学にかわって主要な地位を占めた。
[大鳥蘭三郎]
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精選版 日本国語大辞典
よう‐がく ヤウ‥【洋学】
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旺文社日本史事典 三訂版
洋学
ようがく
西洋学術への関心は18世紀初め新井白石・徳川吉宗に現れ,特に医師の中にオランダ医学に注目する者が現れた。18世紀後半,『解体新書』の訳出からオランダ語修得の気運が高まり,大槻玄沢・稲村三伯らが入門書・辞典を著してから普及した。医学紹介に始まり,ついで自然科学一般に拡大,蘭学塾も現れ,蘭学者は相互に協力しつつ活動した。幕府は19世紀初め蕃書和解御用を新設,蘭学者を登用し知識を吸収する一方,範囲を実用の学に限り,政治批判などは弾圧し統制した(林子平・シーボルト・蛮社の獄など)。幕末の内外情勢緊迫で統制は強化され,蘭学は兵術・砲術など海防・軍制改革に重点が移動した。諸藩でも田沼時代から蘭学を保護する大名があり,藩校にも採用し,殖産興業ついで軍備強化をめざした。ロシア語学習は18世紀末に萌芽があるが(大黒屋光太夫),開国前後から範囲が拡大し,特に英語を介しての英学が発展した。そして幕府の開成所においても,自然科学偏重から脱し,経済・法律・歴史・哲学などが訳出・研究され,明治期の新知識吸収の基礎をなした。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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