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洪秀全【こうしゅうぜん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

洪秀全
こうしゅうぜん
Hong Xiu-quan; Hung Hsiu-ch`üan
[生]嘉慶19(1814).1.1.
[没]同治3(1864).6.1. 南京
中国,太平天国の最高指導者。広東省花県の人。ハッカ(客家)の家に生まれ,たびたび科挙に失敗。失意のうちに道光23(1843)年,キリスト教入門書『勧世良言』を読み,その内容がかつて見た幻夢と一致することから,自分こそ「上ヤハウェ)」から救世の使命を受けたものと確信し,自分をヤハウェ(天父)の子と称して上帝会を創立し,広西南東部で布教に従事した。世界は上帝を父とする一家で,人間はみな兄弟であるとする平等思想と,厳しい禁欲倫理と戒律とに支えられたその教えは,南京条約後の社会的矛盾激化のなかで,伝統体制から疎外されていた客家や貧窮農民に多く受け入れられていった。道光30(1851)年,広西省桂平県金田村に兵,「太平天国」樹立を宣言,みずから天王と称した。各地で軍を破って揚子江流域に進出,咸豊3(1853)年南京を占領,ここを首として「天京」とした。しかし,この頃から指導部の堕落が始まり,洪自身も政治を一族や有力部将に任せて,祈祷にふけるのみとなった。このためイギリス,フランスの援助を得た清軍の反攻に対して適切な処置をとることができず,南京籠城中に死んだ。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

こう‐しゅうぜん〔‐シウゼン〕【洪秀全】
[1814~1864]中国末、太平天国の最高指導者。花県(広東(カントン)省)の人。自らをエホバの子であるとして、上帝会組織。1851年、挙兵して自ら天王と称し、国名を太平天国とした。南京を攻略して都としたが、内紛を起こして清軍に敗れ、南京陥落直前に病死

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世界大百科事典 第2版

こうしゅうぜん【洪秀全 Hóng Xiù quán】
1814‐64
中国,太平天国の創始者。広東省花県の客家(ハツカ)の中農の家に生まれた。幼名仁坤。1837年(道光17)3度目の府試(科挙の第1段階)に失敗した後,病んだ熱病の中で,天使に迎えられて天上に昇り,高貴な老人から,妖魔が跳梁する汚濁に満ちた下界衆生を救えとの使命を与えられる幻夢を見た。のちに読んだ新教の布教用冊子《勧世良言》を自己流に解することで,彼はこの夢をキリストにつぐ上帝の次子である彼に与えられた上帝の啓示であると受けとり,〈拝上帝教〉を創始した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

洪秀全
こうしゅうぜん
(1814―1864)

中国、太平天国の創始者。広州から50キロメートルほど離れた花県の客家(ハッカ)の農民の子。23歳のとき、科挙に三たび失敗し、熱病を病んだ際、天使に迎えられて昇天し、金髪の老人から、天下の人々を惑わし堕落させている妖魔(ようま)を退治せよとの使命を与えられ、天上で彼らと戦うという幻夢をみた。彼はかつて、偶然広州の試験場前で入手した新教系のキリスト教入門書『勧世良言』を読んで、かの老人こそは唯一の真の神天父上帝であり、妖魔とは中国にはびこる儒・仏・道教などのさまざまな偽りの神仏、偶像で、彼は上帝からこれらを一掃する聖なる使命を与えられたのだと確信し、1843年拝上帝教を創始した。彼はこの神をエホバ(ヤーウェ)と等置したが、実際は中国古来の人格神すなわち上帝を唯一神としたもので、キリスト教とは異質のものであった。彼は、すべての男は上帝から生命を与えられた兄弟であり、女は姉妹であって、一大家族として差別・対立のない世界に生きるべきだとして、その理想を孔子が『礼記(らいき)』「礼運篇(れいうんへん)」に記した大同に仮託して描いた。初期にはすべての人がこの正しい信仰にたち、上帝が教えた禁欲的戒律を守れば、この理想は実現されるとして、かならずしも地上の革命を考えてはいなかった。

 1847年広西(カンシー)の桂平県で開始した偶像(神廟(しんびょう)、神像)破壊運動をきっかけに、支配秩序と激しく対立し、やがて清(しん)朝を最大の妖魔として打倒して、地上に天国を樹立するための革命に進んだ。1850年末に清軍との大規模な戦闘に入り、1851年に天王を称し、国号も太平天国として、1853年南京(ナンキン)を首都に新政権を樹立するまで、彼はその権威を十分に活用して、運動の実際面でも大きな役割を果たした。しかし、南京建都後は、政治、軍事の指導をもっぱら東王楊秀清(ようしゅうせい)(1820ころ―1856)にゆだね、壮麗な天王府の奥深く、多数の后妃に囲まれて暮らし、その宗教もしだいに神秘性を加えた。1856年の大分裂以後は、一族以外の部下を信頼せず、内部分解に拍車をかけた。南京陥落の20日前に病死したが、その死の真相は、曽国藩(そうこくはん)が湘軍(しょうぐん)の功を強調するため、李秀成(りしゅうせい)の供述書における秀全の病死という記述を、服毒自殺と改竄(かいざん)したため、長く隠されてきた。

[小島晋治 2018年6月19日]

『小島晋治著『洪秀全』(『人物中国の歴史9』所収・1981・集英社)』

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精選版 日本国語大辞典

こう‐しゅうぜん ‥シウゼン【洪秀全】
中国、清末の太平天国の指導者。キリスト教と民間信仰とを混合した宗教結社、拝上帝会を結成。これを発展させて太平天国を樹立し、天王と号した。天京(南京)を国都とし、農民の支持を得て各地を攻略し、清朝の反撃にあい、南京陥落前に病死した。(一八一四‐六四

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