●浄瑠璃寺【じょうるりじ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
浄瑠璃寺
じょうるりじ
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デジタル大辞泉
じょうるり‐じ〔ジヤウルリ‐〕【浄瑠璃寺】
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デジタル大辞泉プラス
浄瑠璃寺
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浄瑠璃寺
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世界大百科事典 第2版
じょうるりじ【浄瑠璃寺】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
浄瑠璃寺
じょうるりじ
京都府木津川(きづがわ)市加茂町西小(かもちょうにしお)にある真言律宗の寺。小田原山(おだわらさん)法雲院と号し、通称九品寺(くほんじ)、九体寺(くたいじ)ともいう。本尊は九体阿弥陀如来(あみだにょらい)。創建については諸説あるがさだかでない。『浄瑠璃寺流記事』によると、1047年(永承2)當麻寺(たいまでら)の僧義明(ぎめい)が堂宇を建立したと伝える。現在、三重塔内に安置されている薬師(やくし)如来像は、九体阿弥陀如来像より60年前に造顕されたこの寺の初めの本尊である。1107年(嘉承2)には新本堂として九体阿弥陀堂が建立された。1150年(久安6)には興福寺一乗院門跡(もんぜき)伊豆僧正(そうじょう)恵信(えしん)によって池が掘られ、庭園がつくられて、現在の寺観の基礎ができあがった。1178年(治承2)鐘楼が完成。同年京都一条大宮(京都市上京区)から三重塔が移築された。平安後期から鎌倉時代へかけて諸堂が造営され、各種法会(ほうえ)が行われている。興福寺との関係も深く顕密の道場として発展した。1343年(興国4・康永2)火災によって諸堂焼失したが、さいわい、本堂(九体阿弥陀堂)と三重塔(いずれも国宝)は火難を免れ、平安時代に流行した阿弥陀浄土信仰の形式を残している。寺宝は多く、木造阿弥陀如来坐像(ざぞう)9体、木造四天王立像4体は国宝に、薬師如来坐像、地蔵菩薩(ぼさつ)立像、延命地蔵菩薩立像、不動明王および二童子立像、吉祥天(きちじょうてん)立像、馬頭観音(かんのん)立像、三重塔初重壁画、石灯籠(いしどうろう)2基は国重要文化財に指定され、庭園は史跡・特別名勝。
[野村全宏]
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事典 日本の地域遺産
浄瑠璃寺
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精選版 日本国語大辞典
じょうるり‐じ ジャウルリ‥【浄瑠璃寺】
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旺文社日本史事典 三訂版
浄瑠璃寺
じょうるりじ
九品阿弥陀仏を安置するので,九品寺 (くほんじ) ともいう。奈良時代行基の建立と伝えるが確かでない。藤原時代に建立された九体阿弥陀堂の唯一の遺構として著名。その他三重塔や彫刻の『九品阿弥陀仏像』『吉祥天女像』など藤原時代のものが多い。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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