●浅井氏【あさいうじ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
浅井氏
あさいうじ
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世界大百科事典 第2版
あさいうじ【浅井氏】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
浅井氏
あさいうじ
近江国(おうみのくに)(滋賀県)北半部の戦国大名。「あざい」と読むのが正しい。もとは近江半国の守護京極(きょうごく)氏の被官で、京極氏権力の衰退とともに急速に台頭し、亮政(すけまさ)のときの1523年(大永3)同じ京極氏被官である浅見氏、三田村氏、今井氏らと国人一揆(こくじんいっき)を結んで守護京極高清(たかきよ)を追放した。国人一揆から戦国大名化した典型例として有名である。亮政の子久政(ひさまさ)は領内の民政に手腕を発揮し、ついで1560年(永禄3)に後を継いだ長政が織田信長と同盟し、浅井氏の全盛時代をつくりあげた。ところが1570年(元亀1)越前(えちぜん)(福井県)の朝倉義景(あさくらよしかげ)と結んで信長に背き、姉川の戦いに敗れてからは居城小谷(おだに)城にこもり、ついに1573年(天正1)信長に攻められ、3代で滅亡した。
[小和田哲男]
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旺文社日本史事典 三訂版
浅井氏
あさいし
もと京極氏の被官。応仁の乱(1467〜77)後,亮政は京極家の内紛を機に,近江北部を占領。朝倉・斎藤・織田氏と結ぶ。1573年長政のとき織田信長に攻められ滅亡した。
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