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浙派【せっぱ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

浙派
せっぱ
Zhe-pai
中国の画派の名称。唐代以降,浙江地方には奔放な画法が伝来したらしく,明代の中頃,浙江杭州出身の戴進はこの伝統に基づき,南宋院体画風と元の李郭派などを折衷して独自の山水画風を創始した。その画系に浙江出身者が多かったことから,呉派に対立して浙派と呼んだ。戴進に次いで呉偉張路が現れ,画風は放さを増し,同時に出身地も広範囲になった。文人画家に比して社会的身分も低く,職業画家らしい巧みな筆墨技も呉派の画人と異なったため,明末に尚南貶北論 (しょうなんへんぽくろん。南宗を尊び北宗をけなす論) が現れ,やがて描写形式のうえでも呉派に吸収された。

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デジタル大辞泉

せっ‐ぱ【×浙派】
中国、明代の画派。銭塘(せんとう)(浙江(せっこう)省)出身の戴進に始まる、南宋院体画の流れをくむ職業画家の系譜。呉派に対していう。→北宗画

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世界大百科事典 第2版

せっぱ【浙派 Zhè pài】
中国,明代の宮廷画院系の画派をいう語。銭塘出身の戴進(1389‐1462)の画系につながり,しかも浙江出身の画家が多かったことからこう称された。董其昌の〈画禅筆随筆〉の中にはじめて見えるが,これは蘇州を中心とするいわゆる呉派文人画隆盛の気運の中で,董其昌や莫是竜による尚南貶北(しようなんへんぼく)論とともに用いられており,項元汴(こうげんべん)に仮託される《蕉窓九録》が画院系の画家鄭顚仙,張復,鍾礼,蔣嵩,張路,汪肇を狂態邪学と非難するような雰囲気の中で,浙派の語が生まれた。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

浙派
せっぱ

中国、明(みん)代の職業画家を中心とする画派。浙は東南部の浙江(せっこう)をさし、この派の祖とされた戴進(たいしん)の出身地が銭塘(せんとう)(浙江省杭州(こうしゅう))であること、また浙江出身の画家が多かったことから、同時期に東部の江蘇(こうそ)省を中心とした呉派に対してこう称された。しかし、画家の出身地、身分などはさまざまで、画風もかなり幅が広い。その様式は南宋(なんそう)院体画に元(げん)代の李(り)・郭(かく)画風が混じり、そこに浙江の地方様式である粗放な水墨画法が加わったもので、この粗放な筆墨、黒面と余白の対比や律動感の強調などが共通する特徴である。戴進が画院に入るとともに画院絵画の主要な様式となり、時代が下るにしたがいこの特徴が著しくなり、同時に浙江、福建から江蘇、広東(カントン)、湖北などへと拡大して在野の画家にも影響が及んだが、やがて呉派文人画にその優位を譲った。代表的画家には初期の戴進、中期に呉偉(ごい)、後期に張路(ちょうろ)、蒋嵩(しょうすう)らがおり、藍瑛(らんえい)に至っている。張路以下浙派系の画家は、何良俊(かりょうしゅん)(1506―73)ら文人批評家から「狂態邪学」と非難されたが、熟練した画技で浙江水墨画様式の可能性を追求し、各自個性的な作風を打ち出している。

[星山晋也]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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