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浦賀【うらが】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

浦賀
うらが
神奈川県横須賀市にある地域。三浦半島の東端に位置する。戦国時代以後,北条氏が水軍の根拠地をおき,浦賀定海賊 (うらがじょうかいぞく) といわれた。享保5 (1720) 年,江戸幕府浦賀奉行をおき,出入りの廻船を取締らせた。この頃から干鰯 (ほしか) 問屋が集り繁栄した。天保8 (1837) 年広東のアメリカ商モリソン』号が入港し,貿易開始を求めたが,浦賀奉行は発砲してこれを追放した (→モリソン号事件 ) 。嘉永6 (53) 年6月,アメリカの海軍将官 M.ペリーが4隻の艦隊を率いて久里浜 (くりはま) に来航し,開国を要求し,その結果,幕府との間に国書の授受が行われ,浦賀の地は一躍有名になった。次いで安政1 (54) 年には幕府造船所が建設された。 1943年横須賀市に編入。東京湾浦賀水道に面し,海上交通の要地で,造船所と沖合い漁業の根拠地となった。付近の鴨居走水漁村。走水には東征伝説で知られる日本武尊を祀る走水神社や,日本最古の洋式の観音埼 (かんのんざき) 灯台がある。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

うらが【浦賀】
神奈川県横須賀市東部の地名。嘉永6年(1853)米国ペリー来航で知られる。

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監修:松村明
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世界大百科事典 第2版

うらが【浦賀】

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日本大百科全書(ニッポニカ)

浦賀
うらが

神奈川県横須賀市(よこすかし)の東部、浦賀水道に臨むリアス式湾入の浦賀湾岸一帯の地区。旧浦賀町。京浜急行電鉄が通じる。江戸時代は東浦賀、西浦賀、西浦賀分郷に三分されていた。浦賀は元来天然の良港で、北の走水(はしりみず)や南の久里浜(くりはま)とともに三浦半島から房総半島へ渡る要地をなしていた。1720年(享保5)ここが江戸湾防衛の拠点とされ、それまで伊豆の下田(しもだ)にあった奉行所(ぶぎょうしょ)と番所が浦賀(西浦賀)へ移され、江戸の関門として相模(さがみ)湾、浦賀水道、江戸湾など広く海上の取締りを行うこととなった。そして江戸湾への出入船舶はすべてここへ寄港し、乗組員や積み荷の検査も義務づけられることとなり、港はいつも多くの船でにぎわい、湾岸には廻船(かいせん)問屋や干鰯(ほしか)問屋が軒を連ね、活況を呈した。さらに1853年(嘉永6)アメリカのペリー提督が軍艦4隻を率いて来航し、幕府に開国を迫って以来、浦賀奉行は沿岸警備も担当し、国防・幕政上にも大きな役割を果たすこととなった。明治に入り横須賀が日本海軍の基地となると、ここには1900年(明治33)浦賀船渠(ドック)会社(現、住友重機械工業)が設けられ、造船の町、造船工の居住地として発展し現在に至っている。西浦賀の奉行所跡には、周囲の堀の石垣と正門に架けられていた石橋が残され、町並みには土蔵が多くかつての盛時をしのばせる。奉行所関連の資料などが浦賀文化センターに展示されている。また、西浦賀の西叶(にしかのう)神社の祭礼には虎踊(とらおどり)(県指定無形民俗文化財)が奉納される。

[浅香幸雄]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

うらが【浦賀】
神奈川県横須賀市の東部、三浦半島東端の地名。享保五年(一七二〇)浦賀奉行の設置後栄えた。嘉永六年(一八五三)、日米通商を求めたペリーの来航で有名。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

浦賀
うらが
神奈川県三浦半島の東端,江戸湾口の要港として発展した港町
現在,横須賀市に属する。1720年,江戸幕府はこの地に浦賀奉行を置き江戸湾出入の船を監視させた。国内諸国の廻船の寄航地であったが,幕末にはモリソン号など外国船も頻繁に来航した。1853年ペリーが来航し,幕府に開国を迫った地として著名。なお,米大統領フィルモアの国書は久里浜にて受理された。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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