●海援隊【かいえんたい】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
海援隊
かいえんたい
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デジタル大辞泉
かいえん‐たい〔カイヱン‐〕【海援隊】
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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション
かいえんたい【海援隊】
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世界大百科事典 第2版
かいえんたい【海援隊】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
海援隊
かいえんたい
坂本龍馬(りょうま)を隊長とした幕末土佐藩の外郭遊撃隊。神戸の海軍操練所閉鎖後、坂本龍馬らは薩摩(さつま)藩の保護を受け、1865年(慶応1)長崎に亀山(かめやま)社中という結社をつくり、運輸通商に従いながら、倒幕のために活動していた。土佐藩の公武合体策が動揺し始めると、67年、長崎出張中の後藤象二郎(しょうじろう)が龍馬と会談、国元で福岡藤次(とうじ)(孝弟(たかちか))が動いて、龍馬は脱藩罪を許され、4月長崎で海援隊長に任ぜられ、亀山社中がそのまま海援隊となった。隊の「約規」によれば、隊員は各藩の脱藩者で海外に志ある者、任務は「運輸、射利、開拓、投機、本藩(土佐藩)の應援」と、政治学・航海術・語学などの修得で、出版なども行った。約50名の隊員には中島作太郎(信行(のぶゆき))、長岡謙吉など土佐人のほか、陸奥(むつ)陽之助(宗光(むねみつ))のような土佐藩以外の出身者も多かった。同年11月隊長龍馬が京都で暗殺されたのち、隊士はしだいに分散。讃岐(さぬき)諸島で活動していた長岡謙吉が翌68年隊長になったが、同年閏(うるう)4月には土佐藩によって解散させられた。
[関田英里]
『平尾道雄著『海援隊始末記』(中公文庫)』
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精選版 日本国語大辞典
かいえん‐たい カイヱン‥【海援隊】
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旺文社日本史事典 三訂版
海援隊
かいえんたい
土佐藩を脱藩した坂本が,1865年長崎亀山で土佐藩士を中心とする諸藩浪士20余名で組織し,初め亀山社中と称した。主として薩長両藩のために物産の輸送,洋式武器・艦船の輸入を周旋し,討幕派を援助。'67年社中が土佐藩に属し,坂本が隊長となってから海援隊と改称。同年末,坂本が暗殺されてからはふるわず,'68年解散した。
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