●清水六兵衛【きよみずろくべえ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
清水六兵衛
きよみずろくべえ
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デジタル大辞泉
きよみず‐ろくべえ〔きよみづロクベヱ〕【清水六兵衛】
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世界大百科事典 第2版
きよみずろくべえ【清水六兵衛】
陶芸家。5代清水六兵衛の長男で京都に生まれる。本名正太郎。京都市立絵画専門学校卒業後,父に陶技を学び,1927年帝展に美術工芸部が創設されてからは入選を重ね,31年,34年の2度,特選を受ける。45年父の隠居で6代清水六兵衛を襲名,京都陶芸クラブを主宰する。59年オステンド国際陶芸展でグラン・プリ受賞,62年日本芸術院会員となり,76年文化功労者に推された。その生涯を京都清水焼の振興と日展陶芸の発展に捧げ,三彩流泑(りゆうよう),玄窯,銹泑,紫藍泑,紅斑泑,古稀彩,銀白泑など彼独自の作風や釉調を開発している。
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しみずろくべえ【清水六兵衛】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
清水六兵衛
きよみずろくべえ
京都の伝統陶芸家。代々清水六兵衛を名のり、8代を数える。初代(1738―99)は1768年(明和5)京都五条坂に開窯。当時異色の陶工と目され、江戸後期、京都の陶業を主導して一家をなした。2代(1790―1860)、3代(1822―83)、4代(1848―1920)、5代(1875―1959)、6代(1901―80)、7代(1922―2006)、8代(1954― )と続くが、とりわけ、幕末から明治への混乱期に京焼の再興に尽くした4代目、また富岡鉄斎などと親交を結び、釉薬(ゆうやく)の開発に目覚ましい活躍をみせ、京焼の近代化に意を注いだ5代目六和、そして代々のなかでも傑出した力量の持ち主6代目の存在は特筆すべきである。
[矢部良明]
6代
5代目の長男。旧名正太郎。1913年(大正2)父に就いて作陶の道に入り、伝統的な京焼の技法に新しい解釈を加えた多くの技法を開発。三彩藍(らんよう)や銹
(しゅうよう)、金銀彩を多用した古稀(こき)彩などが高い評価を得、日展陶芸部門の重鎮となった。56年(昭和31)の玄窯白鳥花瓶で芸術院賞を受け、62年日本芸術院会員、76年には文化功労者となったが、80年4月「六兵衛名陶展」の初日に東京の会場で急逝した。翌81年6月、女婿の九兵衛が7代目を襲名。
[矢部良明]
『『現代日本陶芸全集13 清水六兵衛』(1981・集英社)』
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精選版 日本国語大辞典
きよみず‐ろくべえ【清水六兵衛】
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