●港町【みなとまち】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
港町
みなとまち
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デジタル大辞泉
みなと‐まち【港町】
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世界大百科事典 第2版
みなとまち【港町】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
港町
みなとまち
港湾設備をもち、流通機能を果たす水陸交通の拠点集落をいう。古代日本の律令(りつりょう)制下では、内外交易の拠点として難波(なにわ)・博多(はかた)の両津を定めて、官営の交易を行っていた。地方の国府は、中央との連絡に便利な水陸交通の要地を選んで設けられ、その外港として国府津(こうづ)(国津(こづ))をもつものがあった。荘園(しょうえん)が発達すると、それから納められる貢租は水路によって輸送されることが多く、鎌倉時代に入ると荘官級名主(みょうしゅ)層が問丸(といまる)となって輸送を管理していた。北陸の小浜(おばま)や瀬戸内海の尾道(おのみち)・兵庫などは全国的な水路の輸送基地として知られた。近世に建設された城下町には直属港湾がつくられて全国的な軍役体制がつくられていた。また当時南蛮貿易をはじめとして外国との交易が行われ、内政策のため蔵入地(くらいりち)を設けて中央への廻米(かいまい)納入を強制したりしたので、港町は大きく発展した。近世初頭から全国の諸平野で新田開発が進められると、三角州や扇状地平野を流れる川々の沿岸には、諸藩の貢米や日用貨物の輸送基地として藩倉や河岸(かし)が設けられて内陸の港町(蔵(くら)町)が発達していった。やがて幕末には開港を契機として横浜、函館(はこだて)その他の大資本を投入した近代的大港湾都市が形成されることになるのである。
[浅香幸雄]
『浅香幸雄著『中世の集落・近世の都市』(『新地理講座 第7巻』所収・1953・朝倉書店)』▽『豊田武・児玉幸多編『流通史1』(『体系日本史叢書13』1969・山川出版社)』▽『豊田武・児玉幸多編『交通史』(『体系日本史叢書24』1970・山川出版社)』▽『高瀬保著『加賀藩海運史の研究』(1979・雄山閣出版)』
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精選版 日本国語大辞典
みなと‐まち【港町】
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旺文社日本史事典 三訂版
港町
みなとまち
古代より対外交通や貢租(のちには荘園年貢)輸送の要港はあったが,商品流通の増大した鎌倉末期以降に,市・問丸 (といまる) の発生,商工人・船頭・人夫などの定住をみて,都市的発展をした。堺など自治を得た自由都市も出現。江戸時代,東廻り・西廻り航路の開発などで各地に現れた。博多・堺・兵庫・尾道・桑名・敦賀・小浜・酒田などが有名。
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