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満州【まんしゅう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

満州
まんしゅう
Man-zhou; Man-chou; Man-churia
中国東北部の旧地域名。現在の東北地方で遼寧吉林,黒竜江省の3省を中心とする地域。 10世紀以来,ジュシェンと自称するツングース系の女直 (→女真 ) 人の住地であり,朝,朝はこの地から興起した。満州の名は,清朝建国とともにそれまで漢人やモンゴル人に対して自称していたジュシェンをやめてマンジュ (満州,文珠菩薩を意味する曼珠師利に起源するともいう) と称することと定めたのに始り,それ以後この地域を満州と呼ぶことが一般化した。満州南部 (遼河一帯) は漢人地帯に接していたため,古くから漢人も流入して農耕が行われたが,長白山脈,松花江,黒竜江地帯ではテンなどの毛皮,朝鮮にんじん,淡水産真珠の狩猟採取が行われた。 1932年にこの地域を占領した日本は満州国を建国したが,第2次世界大戦後に中国に復帰し,それとともに満州の名も消滅した。

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デジタル大辞泉

まんしゅう〔マンシウ〕【満州/満洲】
中国東北地方の旧称。遼寧吉林黒竜江の東北三省と内モンゴル自治区の一部にわたる。→満州国

出典:小学館
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日本大百科全書(ニッポニカ)

満州
まんしゅう
中国の地名、および民族名。ヨーロッパ人はマンチューリアManchuriaとよぶ。明(みん)末、この地方にいたツングース系の女真(じょしん)(女直(じょちょく))人は太祖ヌルハチに統一され、力を増大させていった。ヌルハチは自己の民族名を満州と改名した。これによって、それまで漠然と遼東(りょうとう)とよばれていた同地方もまた満州とよばれるようになった。満州という名の由来についてはいろいろな説があるが、当時この地方に文殊菩薩(もんじゅぼさつ)信仰が広がっており、「文殊」の転音である満住、満珠に由来するという説がもっとも有力である。
 清(しん)代以降、満州とよばれるようになったこの地方は、古来、北方遊牧民族と漢民族の争奪の地であった。まず戦国時代には粛慎(しゅくしん)がいた。漢の武帝が当地方に四郡を置いたあと、高句麗(こうくり)が興り、しばらくこの地の覇者となった。その滅亡後、渤海(ぼっかい)国ができた。次にモンゴル系の契丹(きったん)族が強大化した。その後、女直人が華北まで支配する強大な金(きん)国を建てた。明代、女直人は海西(かいせい)、建州、野人(やじん)の三部に分かれていたが、建州女直のなかからヌルハチが出て女直族を統一、1616年後金(こうきん)国を建てた。それが発展して中国全土を支配する清朝となった。近代に入ると、まずロシアがこの地に侵入してきて、黒竜江以北およびウスリー川以東の地を奪った。遅れて日本の進出が始まり、ついに1931年、軍事侵略を開始し、翌年「満州国」という傀儡(かいらい)政権をつくり、完全植民地として1945年まで支配した。今日、満州の名は廃され、かわって中国東北とよばれるようになった。[倉橋正直]

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