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源義光【みなもとのよしみつ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

源義光
みなもとのよしみつ
[生]寛徳2(1045)
[没]大治2(1127).10.20.
平安時代中期の武将。新羅三郎,館三郎とも呼ばれた。頼義の3子。母は平直方の女。左兵衛尉,刑部丞,常陸介,甲斐守,刑部少輔を歴任。幼少より弓馬の術にたけ,音律を好んだ。後三年の役に,兄義家が清原氏と苦戦しているとき,みずからを投げうって陸奥救援に赴き,ついに金沢柵包囲,陥落させた。また常陸介として,常陸国久慈郡佐竹郷を所領に得て,子孫がここに土着して佐竹氏を称した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

みなもと‐の‐よしみつ【源義光】
[1045~1127]平安後期の武将頼義三男通称新羅三郎(しんらさぶろう)。弓術に長じ、笙(しょう)をよくした。後三年の役に際し、官を辞して兄義家を助けて武功をあげた。

出典:小学館
監修:松村明
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

源義光 みなもとの-よしみつ
1045-1127 平安時代後期の武将。
寛徳2年生まれ。頼義の3男。後三年の役のとき兄義家の苦戦をきき,官を辞して救援にむかった。笙(しょう)の名手で,このとき見おくる豊原時秋に秘曲を伝授したという説話がある。(おい)の源義忠暗殺の黒幕ともつたえられる。常陸介(ひたちのすけ),甲斐守(かいのかみ)。子孫は佐竹氏,甲斐源氏などに分流大治(だいじ)2年10月20日死去。83歳。通称は新羅(しんら)三郎。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

みなもとのよしみつ【源義光】
1045‐1127(寛徳2‐大治2)
平安後期の武将。源頼義の三男。母は兄義家,義綱と同じ上野介平直方の娘。新羅(しんら)明神の社前で元服したことから〈新羅三郎〉と号した。弓馬の達人といわれ,1087年(寛治1)後三年の役鎮圧に苦戦している義家を助けるためひそかに陸奥に下向して左兵衛尉を解官(げかん)される。左衛門尉,刑部丞などの官職を得たが,多く東国にいて勢力を拡大していった。また笙の名手として説話に語られ,陸奥に赴く途次,足柄山で豊原時秋に秘曲を伝授したという話などがある。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

みなもとのよしみつ【源義光】
1045~1127 平安後期の武将。頼義の三男、義家の弟。通称、新羅しんら三郎。後三年の役に義家の苦戦を聞き、官許を得ずに救援に赴き解官された。のち東国を経営、武田氏・佐竹氏・小笠原氏などの祖となった。射術にすぐれ、また笙しようの名手。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

源義光
みなもとのよしみつ
(1045―1127)
平安後期の武将。園城寺(おんじょうじ)の新羅明神(しんらみょうじん)の社前で元服したところから新羅三郎と称した。父は頼義(よりよし)、母は上野介(こうずけのすけ)平直方(なおかた)の女(むすめ)で義家(よしいえ)の同母弟。弓馬の術の達人といわれた。左兵衛尉(さひょうえのじょう)に在任して京都にあったとき、後三年の役で兄の義家が陸奥(むつ)国において藤原清衡(きよひら)を助けて清原武衡(たけひら)、家衡(いえひら)らを相手に苦戦していることを知り、救援に赴くことを朝廷に申し出たが許されず、ために1087年(寛治1)官を辞して兄のもとへ馳(は)せ参じた。そして義家とともに武衡、家衡を金沢柵(かねさわのさく)に打ち破り京都に帰った。その後、刑部丞(ぎょうぶのじょう)、左衛門尉(さえもんのじょう)、常陸介(ひたちのすけ)、甲斐守(かいのかみ)などを歴任し、この間、東国の受領(ずりょう)経験を契機としてこの地に勢力を伸ばし常陸国(茨城県)の佐竹郷に本拠を構えた。また義光は笙(しょう)をよくしたが、豊原時忠(とよはらのときただ)を師とし、交丸(はしりまろ)とよばれる名器を授けられた。ところが陸奥国へ下向のとき、これを携行したが逢坂関(おうさかのせき)に彼を見送った師の時忠が別れを惜しんで帰らないので、義光は戦陣で名器を失うことを案じて、その名器を時忠に返したという。[朧谷 寿]

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精選版 日本国語大辞典

みなもと‐の‐よしみつ【源義光】
平安中期の武将。頼義の三男。義家の弟。新羅三郎と号す。後三年の役に、兄義家の苦戦を聞き、京での官を辞して救援におもむいて武功をあげ、東国佐竹氏・武田氏・小笠原氏の祖となったとされる。寛徳二~大治二年(一〇四五‐一一二七

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