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源行家【みなもとのゆきいえ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

源行家
みなもとのゆきいえ
[生]?
[没]文治2(1186).5.12. 山城,赤井河原
平安時代末期~鎌倉時代初期の武将。為義の子。初名,義盛。保元の乱に敗れて父が殺されると熊野にひそみ,治承4 (1180) 年源頼政の召に応じて名を行家と改め,以仁王 (もちひとおう) の令旨を東国の源氏に伝えた。養和1 (81) 年美濃に拠って平重衡らと墨俣川で戦って敗れ,鎌倉の源頼朝を頼って所領を求めたが拒まれたため,信濃の源義仲と結んだ。寿永2 (83) 年入京。従五位下備前守となった。のち義仲対立紀伊に退いた。平氏滅亡 (85) 後,頼朝と対立した源義経に協力して頼朝追討の院宣を得,さらに四国の地頭に補せられた (『吾妻鏡』) 。しかし頼朝に追われ,和泉に隠れ住んだが捕われて殺された。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

みなもと‐の‐ゆきいえ〔‐ゆきいへ〕【源行家】
[?~1186]平安末期武将為義の一〇男。通称新宮十郎以仁王(もちひとおう)の平氏討伐の令旨を受けて、各地武士伝達仲とともに入京、のち、頼朝と不和になった義経に協力し、和泉で頼朝のに殺された。

出典:小学館
監修:松村明
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

源行家 みなもとの-ゆきいえ
?-1186 平安時代後期の武将。
源為義の10男。平治(へいじ)の乱のあと熊野新宮でそだつ。治承(じしょう)4年(1180)以仁(もちひと)王の令旨(りょうじ)を奉じ,諸国源氏に平氏打倒をよびかけた。源頼朝と不和となり,義仲,ついで義経とむすんで頼朝に敵対。和泉(いずみ)(大阪府)近木(こぎ)に潜伏し,文治(ぶんじ)2年5月12日追討された。初名は義盛。通称は新宮十郎。

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

みなもとのゆきいえ【源行家】
?‐1186(文治2)
平安末~鎌倉初期の武将。源為義の十男。本名義盛。源義朝の,頼朝の叔父。熊野新宮に住んだので〈新宮十郎〉と呼ばれ,1180年(治承4)4月八条院蔵人(くろうど)に補せられたとき改名,以後は十郎蔵人と呼ばれた。同年5月に兵した以仁王(もちひとおう)の令旨(りようじ)を諸国源氏に伝え,挙兵を促したといわれる。源頼朝にいれられず,源義仲と結んで83年(寿永2)平氏西走後の京都に入り,従五位下備後守に任叙され,数日後備前守に遷任した。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

みなもとのゆきいえ【源行家】
?~1186 平安末・鎌倉初期の武将。為義の十男、義朝・為朝の弟。名は義盛。新宮十郎とも称す。以仁王もちひとおうの平氏追討の令旨を諸国の源氏に伝えた。平氏滅亡後は、義経と結んだが、和泉で頼朝の兵に殺された。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

源行家
みなもとのゆきいえ
(?―1186)
平安末期~鎌倉初期の武将。為義(ためよし)の子で、頼朝(よりとも)の叔父にあたる。本名義盛(よしもり)。保元(ほうげん)の乱(1156)に父為義が敗れてのち、熊野新宮(くまのしんぐう)に隠れ、新宮十郎と称した。1180年(治承4)以仁王(もちひとおう)を奉ずる源頼政(よりまさ)に召し出され、名を行家と改め、山伏(やまぶし)姿となって諸国の源氏に以仁王の令旨(りょうじ)を伝えた。まもなく以仁王、頼政は敗北し、行家は尾張(おわり)、三河などで兵を結集し、平氏と戦った。鎌倉の頼朝に所領を請うたがいれられず、やがて行家は木曽義仲(きそよしなか)と結んだ。83年(寿永2)義仲とともに入京、後白河(ごしらかわ)法皇に謁し、従(じゅ)五位下備前守(びぜんのかみ)となった。しかしその後義仲と対立するに至り、紀伊(きい)に退いた。平氏滅亡(1185)後は頼朝と不和となった源義経(よしつね)に味方し、頼朝追討の宣旨を得た。自ら出陣した頼朝に対して、西海に赴こうと義経ともども摂津大物浦(だいもつのうら)(兵庫県尼崎(あまがさき)市)をたったが、大風にあって遭難、和泉(いずみ)に隠れたが、翌年関東の討手常陸房昌明(ひたちぼうしょうみょう)に攻められ、文治(ぶんじ)2年5月12日赤井河原で斬(き)られた。[田辺久子]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

みなもと‐の‐ゆきいえ【源行家】
平安末期から鎌倉初期の武将。本名義盛。為義の一〇男。以仁王(もちひとおう)の挙兵に令旨を諸国の源氏に伝えて源氏挙兵のきっかけをつくったが、頼朝にいれられず義仲と結んだが、これとも対立。平氏滅亡後は義経と結んで頼朝と対立し、北条時定に和泉で殺された。文治二年(一一八六)没。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

源行家
みなもとのゆきいえ
?〜1186
平安末期の武将
為義の第10子。平治の乱(1159)後,熊野新宮におり,新宮十郎と号した。以仁王 (もちひとおう) の令旨 (りようじ) を諸国の源氏に伝え,源義仲とともに入京。のち源義経と結び頼朝打倒を企てたが失敗し,和泉国で殺された。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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