●源順【みなもとの したごう】
美術人名辞典
デジタル大辞泉
みなもと‐の‐したごう〔‐したがふ〕【源順】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
源順 みなもとの-したごう
延喜(えんぎ)11年生まれ。嵯峨(さが)源氏,源挙(こぞる)の子。三十六歌仙のひとり。20代で日本初の百科辞典「倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」をつくる。天暦(てんりゃく)5年(951)梨壺(なしつぼ)の五人のうちにえらばれ,その中心人物として「後撰和歌集」編集,「万葉集」訓読にあたった。官吏としては不遇で,晩年に能登守(のとのかみ)。永観元年死去。73歳。家集に「源順集」。
出典:講談社
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世界大百科事典 第2版
みなもとのしたごう【源順】
平安中期の歌人,文人,学者。嵯峨源氏で左馬助挙(こぞる)の子。43歳まで学生(がくしよう)であったが文章生となり,勘解由判官,東宮蔵人,民部丞,和泉守,能登守などを歴任した。官位の沈滞を嘆く和歌や長歌,また不遇のわが身を寓喩した漢文体の《無尾牛歌》《夜行舎人鳥養有三歌》(ともに《本朝文粋》)などが知られる。醍醐天皇第4皇女勤子内親王の命によって日本最初の百科辞典の趣の《和名類聚抄(わみようるいじゆうしよう)》(934年ごろ成立)を撰進したが,広汎な事項を分類して解説した漢文体の辞書で,万葉仮名による和名の訓みをも伴うという画期的業績でありながら,順はまだ24,5歳の学生であった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
源順
みなもとのしたごう
[没]永観1(983)
平安時代中期の歌人,文人。三十六歌仙の一人。嵯峨天皇の子孫で,挙 (こぞる) の子。従五位上能登守。「梨壺の五人」に入り,『万葉集』の訓釈や『後撰和歌集』の撰集に従事。その歌には遊戯的なものが多く,家集『源順集』には双六 (すごろく) 盤や碁盤の歌,沓冠 (くつかぶり) の歌などがみえ,『馬毛名歌合 (うまのけなうたあわせ) 』のような物名歌の自歌合もある。『天徳歌合』にも出詠し,初期の百首歌の作者の一人でもあった。『拾遺和歌集』以下の勅撰集に 50首ほど入集。承平年間 (931~938) に醍醐天皇皇女勤子に奉った『倭名類聚抄 (わみょうるいじゅしょう) 』は,百科事典的な分類体の漢和辞書。詩文も巧みで,『無尾牛歌』や『夜行舎人鳥養有三 (やぎょうのとねりとりかいのありみ) 歌』などは不遇を訴える風刺的な文章として,仮名散文の『野宮庚申夜歌序』などとともに注目される。『宇津保物語』『落窪物語』などの作者にも擬せられているが確証はない。
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)
源順
みなもとのしたごう
(911―983)
平安中期の歌人、漢学者。嵯峨(さが)源氏、挙(こぞる)の息。43歳にして初めて学生(がくしょう)から文章生(もんじょうのしょう)となり、勘解由判官(かげゆのじょう)、民部大丞(みんぶのだいじょう)、和泉守(いずみのかみ)などを経て能登(のと)守に至る。和漢の才に優れ、承平(じょうへい)年中(931~938)に『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』を撰進(せんしん)、951年(天暦5)梨壺(なしつぼ)の五人の1人として撰和歌所寄人(よりゅうど)となって『後撰(ごせん)和歌集』を撰し、『万葉集』を読解した。「無尾牛歌」「夜行舎人鳥養有三歌(やこうのとねりとりかいのゆうさんか)」などの詩文、あるいは歌に官位停滞の不満を訴え、父母兄子の亡失に不遇をかこつ一方、歌合(うたあわせ)、詩合(しあわせ)へ出詠し、貴権に多く詩歌を召された。また、馬の毛の名を詠み込んで十番につがえた『源順馬毛名合(うまのけのなあわせ)』、「天地(あめつち)の歌」「双六盤(すごろくばん)の歌」のような遊戯的作品も多い。その表現は平淡ながら、ことば遊び的な要素が強い。その多彩な才能、現実的な性向から、『落窪(おちくぼ)物語』『うつほ物語』の作者に擬せられもする。三十六歌仙の1人で、家集『源順集』があり、詩文は『本朝文粋(もんずい)』『扶桑(ふそう)集』などに収められている。また『作文大体』『新撰詩髄脳』の著があったようである。
[杉谷寿郎]
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精選版 日本国語大辞典
みなもと‐の‐したごう【源順】
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旺文社日本史事典 三訂版
源順
みなもとのしたごう
平安前期の歌人
嵯峨源氏。挙 (こぞる) の子。『後撰和歌集』の撰者の一人で,梨壺の五人の一人。詩文もすぐれ,また百科全書『倭名類聚抄 (わみようるいじゆうしよう) 』の著者として有名。三十六歌仙の一人。家集『源順集』。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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