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溝口秀勝【みぞぐち ひでかつ】

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

溝口秀勝 みぞぐち-ひでかつ
1548-1610 織豊-江戸時代前期の大名。
天文(てんぶん)17年生まれ。丹羽(にわ)長秀ので加賀(石川県)大聖寺(だいしょうじ)城主。のち豊臣秀吉につかえ,慶長3年(1598)越後(えちご)(新潟県)新発田(しばた)6万石をあたえられた。関ケ原の戦いでは東軍に属し,上杉遺民一揆(いっき)を鎮定。所領を安堵(あんど)され,新発田藩主溝口家初代となった。慶長15年9月28日死去。63歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。通称は金右衛門。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日新聞掲載「キーワード」

溝口秀勝
(1548~1610) 織田信長やその家臣丹羽長秀に仕えたとされ、武功を立てて若狭国(福井県)高浜城主、加賀国(石川県)大聖寺城主になった。後に豊臣秀吉ので越後に移り、新発田藩を立藩。関ケ原の合戦では徳川方についた。越後で起こった一揆を鎮圧するなど領内の安定に努めたという。
(2016-11-23 朝日新聞 朝刊 三重全県・地域総合)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

世界大百科事典 第2版

みぞぐちひでかつ【溝口秀勝】
1548‐1610(天文17‐慶長15)
織豊期の武将。尾張溝口の生れ。幼年より丹羽長秀に仕えたが,1581年(天正9)織田信長よりじきじきに5000石を与えられ,若狭高浜の城主となった。83年羽柴秀吉が柴田勝家を攻め,北陸を平定するにあたっての功により,4万4000石をあてがわれて加賀大聖寺の城に移った。98年(慶長3)越後新発田に城替えとなり,蒲原(かんばら)郡で6万石を領した。関ヶ原の戦の際には越後国の一揆と戦い,これを征した。【西田 真樹】

出典:株式会社平凡社
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