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漫才【まんざい】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

漫才
まんざい
寄席演芸の一種。2人で一組になり,滑稽な話題を掛合で聞かせるもの。正月に家々を訪問して歩いた「万歳」から発展した。大正末期から昭和の初め頃大阪の寄席で盛んになり,以後全国に広まった。社会風刺や音曲などを交えるものもあり,内容は多種多様であるが,寄席だけでなく映画,テレビ,ラジオなど多方面で人気を得ている。

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朝日新聞掲載「キーワード」

漫才
しゃべくりで話題を広げる笑いのスタイルを生んだエンタツ・アチャコの人気を背景に1934年ごろから普及していった言葉。もとはなどを持ち、などを交えるのが一般的で、「萬歳」などと表記されていた。
(2015-12-24 朝日新聞 朝刊 1社会)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

デジタル大辞泉

まん‐ざい【漫才】
二人の芸人がこっけいなことを言い合って、客を笑わす寄席演芸万歳2が現代化したもので、大正初期に大阪で起こった。初め「万才」と書き、のち形式も多種多様に発達

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世界大百科事典 第2版

まんざい【漫才】
演芸の一種目。通常コンビを組んだ2人が舞台上でこっけいな掛合いを演ずるという形式をとる。漫才の背景に平安朝以来の万歳がある。それは2人づれ,あるいは数人づれで,戸別訪問をして,その家の繁栄を願う予祝を述べ,音楽と踊りを見せる。そういう戸別訪問の芸が,おおぜいの客を前にして行う掛合いの芸に変わって流行するのは,明治も末近くになってからのことで,玉子屋円辰(たまごやえんたつ)(1864‐1944)が大阪の天満天神のわきの常打小屋にかけたのが始めである。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

まんざい【漫才】
二人で滑稽な問答を中心に演じる寄席演芸。万歳の寄席演芸化したもの。関西に興る。 -師 1933年(昭和8)1月より大阪で万才に替えて用いられ、34年4月より東京で使用

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日本大百科全書(ニッポニカ)

漫才
まんざい
滑稽(こっけい)な軽口問答をする寄席(よせ)演芸。2人のコンビによることが多い。[向井爽也]

万歳(万才)から漫才へ

万歳(まんざい)の近代化したもので、明治後期に上方(かみがた)(関西)から発生し、「万歳」「万才」「漫才」と順次変わっていった。古来の万歳の太夫(たゆう)と才蔵(さいぞう)による掛合(かけあい)に大阪俄(にわか)(仁輪加)などのおもしろさを加味してできたのがその原型で、万(よろず)の才能を要求されることから、のちに万才と書き改めるようになったとの説もある。明治末期から舞台にも進出、玉子家円辰(たまごやえんたつ)の一派、続いて江州(ごうしゅう)音頭出身の砂川捨丸(すながわすてまる)らが人気を集めた。形式は音曲をあしらい、歌い語りながら一方が鼓を打ち、他方が扇子で相手をたたいたりするしぐさを多く用いた。この音曲風の万才に新風を吹き込んだのが、1930年(昭和5)に大阪・玉造(たまつくり)の三光館に出演した横山エンタツ・花菱(はなびし)アチャコ(エンタツ‐アチャコ)のコンビである。音曲をまったく不得手とした2人が斬新(ざんしん)な話術をもって大受けしたもので、これがいわゆる「しゃべくり漫才」の元祖となった。その成功を機に、両人の所属する吉本興業が万才を漫才に書き改めたともいわれる。34年に吉本興業文芸部に入った秋田実が台本を次々と書き、その後もこの分野で多大な貢献をした。しだいに万才は影を潜め、35年以降はおおむね漫才の制するところとなり、芦乃屋雁玉(あしのやがんぎょく)・林田十郎、ミス・ワカナと玉松一郎といった名コンビが生まれ、ラジオを通じて全国的にも隆盛となった。紋付羽織袴(はかま)姿で鼓を持った古典的な万才の型を最後まで捨てなかったのは砂川捨丸・中村春代のコンビであった。
 一方、東京では、1914年(大正3)に大阪から万歳の一行が上京したのを機に普及の兆しをみせ、大正末期に米問屋出身の東喜代駒(あずまきよこま)が喜代志と組んだのをはじめ、33年(昭和8)にリーガル千太・万吉、40年に並木一路(いちろ)・内海突破(うつみとっぱ)のコンビがそれぞれデビュー、東京におけるしゃべくり漫才の中心的存在となった。[向井爽也]

東西漫才界の近況

第二次世界大戦後の東京では1955年(昭和30)に、横の連絡と親睦(しんぼく)および芸の向上を図るため漫才師50組が集まって「漫才研究会」を結成、リーガル千太が会長に就任したが64年に発展的解消、新たにコロムビア・トップを会長とした「漫才協団」が発足(99年に内海桂子(けいこ)が2代目会長に就任)、今日に及んでいる。その間、松鶴家(しょかくや)千代若・千代菊、獅子(しし)てんや・瀬戸わんや、春日三球(かすがさんきゅう)・照代、ツービート(ビートたけし・きよし)、爆笑問題(太田光・田中裕二)などが輩出、また大阪では中田ダイマル・ラケット、ミヤコ蝶々(ちょうちょう)・南都雄二(なんとゆうじ)、夢路いとし・喜味(きみ)こいし、横山やすし・西川きよし、オール阪神・巨人、宮川大助・花子などが活躍した。総じて大阪の漫才は感性に、東京の漫才は理性に訴えるとされているが、これは大阪弁そのものが漫才の掛合に適した雰囲気をもっているのに対し、東京弁はそうしたおもしろさに欠けるため、やむなく理屈で笑わせる方法をとっていることに起因しよう。[向井爽也]
『小島貞二編『大衆芸能資料集成7 寄席芸』(1980・三一書房) ▽秋田実著『大阪笑話史』(1984・編集工房ノア) ▽三田純市著『昭和上方笑芸史』(1994・学芸書林) ▽相羽秋夫著『上方漫才入門』(1995・弘文出版) ▽相羽秋夫著『漫才入門百科』(2001・弘文出版)』

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精選版 日本国語大辞典

まん‐ざい【漫才】
〘名〙 (「まんざい(万歳)⑥」から) 寄席演芸の一つ。二人の芸人がしぐさや言葉で観客を笑わせる演芸。エンタツ・アチャコの人気を受けて、昭和七年(一九三二)一月の吉本興業の宣伝雑誌「ヨシモト」に、宣伝部長橋本鉄彦が漫談にヒントを得て命名し載せたのが初めという。
※耳を掻きつつ(1934)〈長谷川伸〉昨事・今事・脚本の業「小劇場向きの脚本を読み見ることを成るべくしてゐる、それは言葉の受渡しの妙をとりたく、古雑誌『百花園』を通読したり万歳(近頃漫才ともいふ)を聞くのと同じ意味である」

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