●為永春水【ためながしゅんすい】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
為永春水
ためながしゅんすい
[没]天保14(1843).12.22. 江戸
江戸時代後期の人情本作者。本名,鷦鷯 (ささき。佐々木) 貞高。別号,狂訓亭,金竜山人。初め小書肆を経営,青林堂越前屋長次郎と称した。また講釈師為永正輔と名のって高座にのぼった。戯作にも志し,式亭三馬に入門,三鷺あるいは2代目振鷺亭主人と称し,滑稽本,読本を書いた。文政4 (1821) 年処女作『明烏後正夢 (あけがらすのちのまさゆめ) 』初編を出版。同 12年から為永春水と改号。『春色梅児誉美 (しゅんしょくうめごよみ) 』が大いに当り,みずからの中本を人情本と称し,「東都人情本の元祖」と自称。天保の人情本界第一人者となり,多数の門人を集めたが,天保改革による取締りで天保 13 (42) 年手鎖刑に処せられた。ほかに『春色辰巳園 (たつみのその) 』 (33~35) ,『花名所懐中暦』 (36) ,『風月花情春告鳥』 (36) など。
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デジタル大辞泉
ためなが‐しゅんすい【為永春水】
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世界大百科事典 第2版
ためながしゅんすい【為永春水】
江戸後期の人情本作者。本名は鷦鷯(ささき)(佐々木)貞高,通称は越前屋長次郎。2代目振鷺亭(しんろてい)主人,三鷺(さんろ),2世南仙笑楚満人(なんせんしようそまひと),狂訓亭主人,金竜山人とも号し,講釈師として為永正輔(助),為永金竜を名のった。江戸の町家の出身らしいが前半生の経歴は明らかでない。文化(1804‐18)末年ごろから書肆青林堂を経営するかたわら,振鷺亭,柳亭種彦,式亭三馬に入門,1819年(文政2)に処女作の人情本《明烏後正夢(あけがらすのちのまさゆめ)》初編を発表,次々に作品を世に送り,27年ごろには人情本作者としての地位を確立した。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
為永春水
ためながしゅんすい
(1790―1843)
江戸後期の人情本作家。本名鷦鷯(ささき)(佐々木)貞高(さだたか)。通称越前屋長次郎(えちぜんやちょうじろう)。2代目振鷺亭主人(しんろていしゅじん)、三鷺(さんろ)、2世南仙笑楚満人(なんせんしょうそまひと)、狂訓亭(きょうくんてい)主人、金竜(きんりゅう)山人などとも号し、講釈師として為永正輔(しょうすけ)、為永金竜という。江戸の町家の出身らしいが、前半生の経歴は不明。
文化(ぶんか)(1804~18)末年ごろから書肆(しょし)青林堂を経営し、かたわら戯作者(げさくしゃ)を望んで振鷺亭、柳亭種彦(りゅうていたねひこ)、式亭三馬(しきていさんば)に次々と入門し、1819年(文政2)処女作『明烏後正夢(あけがらすのちのまさゆめ)』を出版した(文政4年の説あり。この年2世南仙笑楚満人を号す)。以後、書肆経営上次々と人情本を発表して戯作者の位置を固めるが、この時期の作品はすべて友人・門人たちとの合作であり、多くは戯作者志望の文学青年らの草稿を、書肆の立場で利用したものが多い。29年為永春水を名のるが、同年3月火災で青林堂を失い、門人らが多く離反、独立した戯作者としてたつために、苦心のすえ、32年(天保3)『春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)』初・2編を発表した(翌年全4編完結)。人情本の代表作とされるもので、読者の熱狂的歓迎を受け、春水は「江戸人情本の元祖」を誇称し、一躍文壇の第一線にたった。
以後、春水は書肆の要請にこたえて、『春色辰巳園(しゅんしょくたつみのその)』以下の『春色梅児誉美』の続編をはじめ、『春告鳥(はるつげどり)』など多数の作品を発表するが、人情本が青年男女、とりわけて婦女子を読者とする小説であったために、人情を描くと称してひたすら愛欲を追求し、ふたたび新しい門人たちとの合作という形をとった。ただ、合作という形をとったことが、場面を積み重ねてゆく春水人情本独特の主情的リアリズム、いわゆる「為永流」の作風を生み、彼の人情本を独特の風俗小説たらしめている。天保(てんぽう)の改革に際し、その作品が風俗に害があるとの理由で手鎖50日の刑を受けるが、彼の作品の風俗描写は明治の硯友社(けんゆうしゃ)の文学に大きい影響を与えている。読本(よみほん)・合巻の作もあるが、これはいうに足りない。天保14年12月22日没。墓は妙善寺(東京都世田谷(せたがや)区北烏山(からすやま))にある。
[神保五彌]
『「人情本について」「為永春水研究」(『山口剛著作集 4』所収・1972・中央公論社)』▽『「為永春水小論」「為永春水の手法」(『中村幸彦著述集 6』所収・1982・中央公論社)』
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精選版 日本国語大辞典
ためなが‐しゅんすい【為永春水】
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旺文社日本史事典 三訂版
為永春水
ためながしゅんすい
江戸後期の人情本作者
本名鷦鷯 (ささき) (または佐々木)貞高,通称越前屋長次郎,号は金竜山人・狂訓亭主人など多数。江戸の人。式亭三馬に入門,『春色梅児誉美 (しゆんしよくうめごよみ) 』を書いて好評を博し,人情本の先駆となった。そのほか多くの著書がある。天保の改革で風俗を乱した罪により処罰された。
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