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熊野懐紙【くまのがいし】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

熊野懐紙
くまのがいし
後鳥羽上皇が熊野三山参詣の途次,紀伊切目王子 (きりべのおうじ) 社などで催した歌会で詠んだ和歌を書いた懐紙総称。約 30× 45cm大の懐紙で,現在後鳥羽上皇,藤原家隆飛鳥井雅経寂蓮法師などの筆跡三十数枚が残り,鎌倉時代初期のかな書道の遺品として貴重。西本願寺および陽明文庫所蔵のものは国宝

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デジタル大辞泉

くまの‐かいし〔‐クワイシ〕【熊野懐紙】
鎌倉初期、後鳥羽上皇熊野行幸に際して催された歌会で書かれた和歌の懐紙。三十数枚が残存し、当時の代表的歌人の仮名筆跡を多く含む。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

熊野懐紙
くまのかいし

平安末期の院政時代に隆盛をみせた本地垂迹(ほんじすいじゃく)の思想は、熊野三山に根強く発達し、院(法皇・上皇)や女院をはじめ貴族たちの熊野社参は絶えることがなかった。なかでも後鳥羽(ごとば)上皇(院政1198~1221)は、1198年(建久9)の19歳のときから毎年のように、廷臣を従えて参詣(さんけい)を企てた。三山への長途の路次において、分霊を祀(まつ)った主たる王子社は宿泊所ともなった。その報賽(ほうさい)を兼ねて、一行の旅情を慰めるために歌会が開かれ、そのおりに各自詠を清書したものが熊野懐紙の名で現存し、14名34枚を計上、諸家に分蔵される。うち開催年月日の明らかなものは、1200年(正治2)12月3日の切目王子(きりべのおうじ)御会、同年12月6日の滝尻王子(たきじりのおうじ)御会、1201年(建仁1)10月9日の藤代王子(ふじしろのおうじ)御会の三度で、不明の分もある。

 古来、筆者が明らかで、熊野三山と深いかかわりをもつこの懐紙は、茶席の名物としても名高い。その成立は『新古今和歌集』の撰進(せんしん)される数年前にあたり、いかにも歌道の盛況をしのばせるものがある。

[古谷 稔]

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精選版 日本国語大辞典

くまの‐かいし ‥クヮイシ【熊野懐紙】
後鳥羽上皇がたびたびの熊野御幸中に催された歌会当座の懐紙。鎌倉時代の仮名書道の遺品として貴重とされる。
[一] 京都西本願寺蔵。一巻一一通。正治二年(一二〇〇)一二月三日、切目(きりべ)王子で催されたときのもの。御題遠山落葉・海辺晩望。筆者(詠者)は後鳥羽院、通親、公経、家隆、寂蓮ら一一人。伏見宮貞敦親王、飛鳥井雅章の添状がある。国宝。
[二] 京都陽明文庫蔵。三幅三通。筆者(詠者)後鳥羽院、家隆、寂蓮。院のものは御題深山紅葉・海辺冬月で建仁元年(一二〇一)一〇月九日、藤代王子でのもの。家隆、寂蓮のものは御題古谿冬朝・寒夜待春で建久九~正治三年間(一一九八‐一二〇一)のもの。国宝。

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