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狩野元信【かのう もとのぶ】

美術人名辞典

狩野元信
室町後期の画家。狩野家二世。京都生。正信長子。号は永仙・玉川古法眼と称する。幼より画を能くし、宋元名家に土佐派や周文雪舟を研究。その画は細密滋潤にして清秀、山水・人物・花鳥みな優れ、土佐光信・雪舟と共に本朝三傑と称される。また将軍義政・義澄に仕えて越前守に任じられ、宅地を賜り、人は狩野厨子という。永禄2年(1559)歿、84才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

かのう‐もとのぶ【狩野元信】
[1476~1559]室町後期の画家。正信の子。漢画様式に土佐派大和絵手法を取り入れて両者融合を図り、次代の桃山障壁画における狩野派画風と活躍の基礎を築いた。作品に大徳寺大仙院客殿襖絵の「山水花鳥図」など。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

狩野元信 かのう-もとのぶ
1476-1559 戦国時代の画家。
文明8年8月9日生まれ。狩野正信の長男。漢画と大和絵を融合したあたらしい様式をつくりあげ,狩野派の基礎をきずく。相阿弥らと制作した大徳寺大仙院客殿の襖絵は,妙心寺霊雲院方丈襖絵とともに元信の障壁画の代表作。内裏小御所襖絵,石山本願寺の障壁画のほか,扇面画なども手がけ,その作品は,宮廷や公家,武家,町衆など幅ひろい層に支持された。永禄(えいろく)2年10月6日死去。84歳。号は永仙。

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

かのうもとのぶ【狩野元信】
1476‐1559(文明8‐永禄2)
室町後期の画家。狩野正信の長男。幼名は四郎二郎。大炊助(おおいのすけ),越前守また法眼となる。初期には父の正信と同様に,《細川澄元像》(1507),《鞍馬蓋寺縁起絵巻》(1513)など幕府関係,とくに幕府の実権者であった管領細川氏の下で働いている。その後,幕府の弱体化によって活躍の場を他に求めるようになり,1543年(天文12)に内裏の小御所,46年に記録所の障子絵を描くなど宮廷や公家に出入りする一方,1539年から十数年間にわたる石山本願寺での制作や上層町衆を対象とする絵馬・扇面画など各階層に広がっていく。

出典:株式会社平凡社
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

狩野元信
かのうもとのぶ
[生]文明8(1476).8.9.
[没]永禄2(1559).10.6.
室町時代後期の画家。狩野派の基礎の確立者。狩野正信の子。初名四郎二郎,のち大炊助 (おおいのすけ) に任じられて元信と称し,晩年越前守となる。剃髪して永仙と号し,法眼位に上る。『鞍馬蓋寺縁起絵巻』,大徳寺大仙院客殿襖絵,『清涼寺縁起絵巻』の制作が示すように,元信は永正年間 (1504~21) にすでに父正信に代って活躍し,その後も室町幕府絵師としてばかりでなく,宮廷や公家関係の画事をも担当。また大仙院,妙心寺霊雲院や石山本願寺でも大規模な障壁画制作を行い,狩野派は元信の時代に多くの画家,画工をかかえる工房に発展し,幅広い分野で活躍した。一方,元信は宋・元・明画のほか,漢画阿弥派の作品を研究して,従来の馬遠様,夏珪様,牧谿様,玉澗様などの筆様を真,行,草の画体に整理した。天文 12 (43) 年の霊雲院の障壁画群はその好例。また,永正 10 (13) 年の大仙院『四季花鳥図』襖絵に指摘される花鳥画の構成と手法は,桃山時代の花鳥図障壁画の原型となった。土佐家との姻戚関係の伝承は確かでないが,やまと絵の領域に進出し,その装飾性を漢画に取入れて和漢融合様式を創出した意義は大きい。主要作品は前述のほか『神馬図』額 (室津賀茂神社) ,『瀟湘八景図』 (妙心寺) など。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

狩野元信
かのうもとのぶ
(1476―1559)

室町後期の画家。狩野派の始祖狩野正信の長男とも次男ともいわれ、初め四郎二郎、のちに大炊助(おおいのすけ)、越前守(えちぜんのかみ)に任ぜられ、永仙と号した。その後の狩野派発展の基礎を確立した人物である。法眼(ほうげん)にも叙せられたことより、江戸時代の画史・画伝類では、敬愛を込めて「古法眼」とよばれた。1513年(永正10)『鞍馬寺(くらまでら)縁起絵巻』を細川高国の命により描き、またこのころ大徳寺大仙院客殿襖絵(ふすまえ)を制作。その水墨を基調に要所要所に濃彩を施した障壁画(しょうへきが)は、明快で平明な画調を示し、きたるべき桃山期障屏画(しょうへいが)の先駆をなすもので、この作品によってまさしく近世絵画への幕が切って落とされたといえよう。そうした元信の画業は、43年(天文12)の妙心寺霊雲院方丈襖絵に典型的に示されている。

 また元信は、幕府をはじめ宮廷、公武、町衆など各層からの幅広い需要に応じるべく、多数の門人を率いて障屏画から絵馬(えま)、扇面画に至るまで精力的に制作した。1535年内裏(だいり)に水墨の屏風(びょうぶ)を納め、その6年後には大内義隆(よしたか)より明(みん)に贈る金屏風、金扇の注文も受けた。また39~53年には弟子とともに石山本願寺の障壁画制作を担当、単に禅宗寺院や自らも信奉した日蓮(にちれん)宗の寺院からの注文に応ずるだけでなく、職業画人として他宗派からの需要にも積極的にこたえたことが知れる。こうした点にも、元信の近世的性格がうかがわれる。技法的には、中国伝来の水墨画の画法に在来の土佐派の技法を折衷、新時代の感性に適合した明快な絵画様式を創造した。代表作に、前述の大仙院と霊雲院襖絵のほか、『瀟湘(しょうしょう)八景図』(妙心寺東海庵(あん))、『四季花鳥図屏風』、『清凉寺縁起絵巻』(京都嵯峨(さが)・清凉寺)がある。

[榊原 悟]

『山岡泰造著『日本美術絵画全集7 狩野正信・元信』(1981・集英社)』

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367日誕生日大事典

狩野元信 (かのうもとのぶ)
生年月日:1476年8月9日
戦国時代の画家
1559年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

かのう‐もとのぶ【狩野元信】
室町後期の画家。狩野家二代目。正信の子。法名永仙。足利家の御用絵師となり、法眼に叙せられる。正信の画風をさらに発展させる。土佐派の技法などをとり入れ、日本画の伝統的な装飾性を画面に生かし新様式を大成。作品「山水花鳥図襖絵四十九幅」「神馬図扁額」など。文明八~永祿二年(一四七六‐一五五九

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旺文社日本史事典 三訂版

狩野元信
かのうもとのぶ
1476〜1559
室町末期の画家。狩野派の大成者
正信の長男。唐絵の画法に大和絵の技法をとり入れ力強い装飾的画風を創造。これが武家社会に迎えられ,狩野派発展のもととなった。代表作に大徳寺大仙院蔵『花鳥図』,妙心寺霊雲院蔵『山水花鳥図』など。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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